2021年02月09日

続・右脳と左脳

前回 瞑想によって
その当時の私の 


左脳の働きが弱いことに気づいた
というお話をしたのだけれど


今回は 久しぶりの瞑想によって 
”右脳の働きがどうも弱いなぁ”


という感じがしたのでね
そのことについて 話してみようと思っています。


今回 3年ぶりに瞑想をしてみたとき


”あれ? 右側が弱いかも?”
ってね 感じたのね。


脳に意識を向けたとき
なんか わかる気がする。


3年間 瞑想をしなかったけど
再開してみたら 初めてのころの感覚には戻らなかった


それからね 
どうして右側の働きが弱い感じになっているのか


ちょっと考えたら すぐわかったよ。


あのね ずーっと
カウンセリングの勉強に気持ちを向けていたから


机に向かってじゃなくて 声を聞きながらね。
私は 朗読のボランティアをしているでしょ


だから 本や資料を自分で読んで
カードに録音して 


それを 家のことをしながらひたすら聞く・・・
来る日も来る日も 繰り返し聞いていたのね。


ながら勉強・・ かな?
もうね 記憶力が衰えてきているからね


これが一番 効率がいいよ。
何かしながら聞けるもの。


それに 繰り返し聞いていれば
いくらかは 頭の中に入るからね。


だけど この事って
記憶すること 思考することなんだよね。


つまり 左側の脳がずっと働いている
っていうこと。


おまけに 夜になると
数独 (ナンプレともいう) これも


クルクルと 頭を働かせる作業でさ
数字と思考の連続だもの


左脳の働きが フル回転しているのだと思うのね。
どうしてこうも 夢中になって数独をするのかっていうと

どうもこれが 私のストレス解消法みたいなの。
数独をやり始めると 他のことは一切考えないもの。


あとね 70歳に近い年齢になると
確実に頭の回転が鈍くなってくるでしょ?


これから 新しい仕事に挑戦するっていうのにさ
これ以上 脳の働きが衰えてしまったら困るもの。


だから せめてね
今の状態を維持できるように・・・


っていう気持ちが強いんだ。
でもさ それにしてもさ


そんな毎日が ずっと続いていたんだもの
感情が あまり使われていなかったんだもの


”そりゃぁ 右側が弱く感じるのも
当たり前のことだったなぁ” 



ってね すぐに思い当たったの。
だから そのあとすぐに


音楽を聴こうと思って CDを探したよ。
しばらくぶりに CDの入れ物を眺めて


宗次郎の オカリナの曲を聴くことにしてね
セットしたの。


一番初めの音が鳴りだしたとき
むせかえるように 泣けてきた。 


ほんとに 一瞬のことだったの。
”なに これ?”


私は すぐに察知したのね。
というより ”もしかしたら切なくなるかもしれない”


って はじめから思っていたの。
どうしてかっていうとね


このCDは ジョーが寝たきりになっていた時
いつもかけていた曲だったの。









切なく いとおしく 悲しく・・・
弱っていく大切な存在を お世話して 


見守った経験がある人なら きっとピンとくる
あの 諸々がまじりあった感情が


一瞬のうちに よみがえった・・・
”やだ・・ なにこれ?”


私は そう言いながら泣き続けたのね。
ジョーのやせ細った腰や足が 


おむつを替えるときの やわらかい皮膚の感触が
すっかりエネルギーが衰えてしまった まなざしが








鮮やかに よみがえったの。
すごいよね 音楽の力って。


見ることによって 聞くことによって
かぐことによって 味わうことによって


そして 触れることによって
感情は 呼び覚まされる。


五感とイメージはつながっているの。
五感でとらえることって 思い出や


それにともなった感情を よみがえらせることは
よくあることだよね。


だから 芸術なんかは
右脳の働きを活発にしてくれる。


見て 聴いて かいで 味わって 触れて・・・
感じるの。


考えるのではなくて 感じる。
とっても大切なことなんだ って


私は 今回 再び
そのことを 再確認したの。


何かに気づくっていうことは
人生のだいご味かもしれないね。







では これで
右脳と左脳のお話は 終わりにします。


最後に

幼い魂や弱い動物たちが
痛めつけられない世の中になりますように・・・

弱いものを傷つけることで
自分を保たなければならない人間たちが

癒される世の中になりますように・・・

祈ります。
  


Posted by N子  at 15:01Comments(1)挑戦

2021年01月24日

右脳と左脳

箱庭のトレーニングが終了してから
私の人生は 再び動こうとしているんです。


カウンセラーとして プロの道を進むことに決めたから。
っていうのはね 困った時相談できる団体に加入した


ということなの。
私 まだまだ新米だから


たくさんの新しい経験が待っている。
きっと 新しい疑問や困ったことが起こると思うの。


そんな時 遠慮なく相談できる場所がある
ということは 心強いことだものね


それに クライアントにとっても
できる限りの対応をして差し上げられる


っていうことになる。


それからね
今の時代 リモートでのカウンセリングが


必須になってきているでしょ?
っていうことは 


どれだけ距離が離れていても
カウンセリングができる っていうことになるのね。


今のところは 
SNSでのカウンセリングが求められていて


とりあえずは 
私も そちらでやってみるつもりでいるのだけど


時期が来たら リモートで
遠くにいる人たちとつながって


辛い心と体が 少しでも健やかになるように
あるいは 単に心を整理したい なんていう人を


応援していきたいと 思っているの。
それは 私が 本当にやりたいことの気がする。


ところで 私は
最近 瞑想を再開したのね。


自分の行く道を 
できるだけ スムーズに歩けるようにってね。


今考えるとね 大風邪を引いた今から3年前
鼻が匂わなくなったきっかけになった あの風邪から


瞑想をしなくなっていたんだよ。
だから 瞑想は3年ぶりになるんだね。


やり始めのころは 
何が何だかわからない状態 だったのだけれど


そのうちね 自分の全体が見渡せる感じになってきて
左側が 詰まっている感じがわかってきたのね。


特に 目頭から鼻の中が・・
それに 左側の向きの感覚がわからない感じ。


言葉で言っても 伝わりずらいとは思うのだけれど
私は その感覚が


左脳の問題なのかも?
って思ったのね。


要するに 理論とか現実とか計算とか
という 思考に関する脳の働きが弱い・・・


感情や直感なんかの働きに比べて ね。
実際 私は どんな時でも


感情の方が優先していたように 思うのね。
瞑想を続けながら 私はそのことに気づいたの。


でも どうしたらよいかわからなかった。
そうするとね それから間もなくの瞑想中 


あれ? って思ったの
今 左側の詰まりが軽くなっている?


ってね。
その時 明らかに 


左側の鼻の 詰まりが取れた気がしたんだよ。
それが 一番最初に 


私が 瞑想の効果を実感として感じた
出来事だったと思うの。


このことは 私が
右脳と左脳 ということを意識するようになった


大きなきっかけになった気がするんだよ。
それとともに 右脳と左脳のバランスがとれた状態が


いかに大切な事か ということが
心の勉強をする中で わかってきたの。


PTSDの軽減に関しても かなり重要な意味がある
ということは 本にも書いてあったし


私の親しい人の 実体験からも
推し量ることができたのね。


人の心も体も 
脳の働きと密接に関係している。


だから 脳の特性が 
カウンセリングには とっても重要になってくる。


心理学と脳の特性 両方とも
人の心と体に 深く関係しているんだね。


様々な学びの中から わかったこと
そして 自分でも体験したこと


年齢を重ねても 新しいことに触れるということは
幸福なことで エキサイティングなことだなぁ



なんてね 今 考えているところ。


そして 最近 私は 
今度は 右脳の働きが少し鈍っているなぁ


って 感じたの。
瞑想を再開したことによって ね。



そのことについては 次回
またお話します。


では 最後に

幼い魂や弱い動物たちが
痛めつけられない世の中になりますように・・・

弱いものを傷つけることで
自分を保たなければならない人間たちが

癒される世の中になりますように・・・

祈ります。

  


Posted by N子  at 15:57Comments(0)挑戦

2020年11月28日

トレーニングの終了

今月 11月1日 日曜日
8か月間にわたって続いた 


箱庭のトレーニングが 終了しました。


(始まりは夫の手作りの箱庭からでした)



これは 「カフェセラピストトレーニング」 といって


箱庭 アート コラージュ という
手段を使って行う セラピーの講座でした。


初めはまったく興味がなくて
この講座を受けるつもりはなかったけれど


ともに学んでいる 同じ年代の友人が受けるというので
私も 負けじと 申し込んだのでした。


毎回課題が出て 十数人の受講仲間はみな
私も含めて 四苦八苦したものです。


その課題すべてが 自分を知るためのものでした。
自分について 深く探求する・・・


主に 箱庭セラピーを習得するための
学びではありましたが


そこには 簡単なようで 
恐ろしくやっかいな作業を通らなければ


たどり着けない 「自己探求」 という
1本の道がありました。


「自分を知るということは 強さにつながっています」
とても心に響いた 先生の言葉です。


”強い ということは 自分を知っているということ”
私は このトレーニングを通して


今まで 何となく知っていた自分を
より はっきりとさせることができたように思います。


はじめは たった一つのキャラクターを使って






様々な 心の投影について学び


次第に 箱庭やアート コラージュに表される
人間の 奥深く豊かな心の世界に


触れることができました。







トレーニングの一環で 身近な人たちに
箱庭を体験してもらっているうちに


箱庭の世界に表現される物語が
その人の心を表していることに たびたび気づかされ


大きな感動と驚きを受け取ったものです。
受講仲間 皆が 同じ感想を言っていました。


この経験は 私の人生に大きな影響を与えてくれたと
心から 感じています。


私の場合 まだまだ 技術的には未熟であり
自己探求だって 大したことないのだとは思いますが


でもね


”自分のことを知らないのに 
人のことを知ろうなんて おこがましいよ”



よく考えてみたら そういうことなんですねぇ。
では 最後に


幼い魂や弱い動物たちが
痛めつけられない世の中になりますように・・・

弱いものを傷つけることで
自分を保たなければならない人間たちが

癒される世の中になりますように・・・

祈ります。

  


Posted by N子  at 09:29Comments(0)箱庭

2020年11月24日

チコを思い出す

私は今でも 時折 
チコのことを思い出します。


ゴミ出しに行くたび







”この 草むらの中のどこかに
チコは 眠っているのだろうなぁ”



ってね 思いをはせるの。


先日はね 娘と孫2人とトイプードル1匹とが
本当に久しぶりに 我が家に来たの。


しばらく会わない間に 二人の女の子たちは
目に見えて成長していた。


トイプードルの らん は これまでは
我が家に到着してから しばらくは慣れない態度で


私たちに吠えたりして 落ち着かなかったのだけど
今回は すっかり自分の家のように


すんなりと 我が家の一員として
溶け込んでくれたのね。






私は あっと思いついて らんのために
チコが使ったドームと ベッドを出してきてみたの。


最初は 何となく警戒していたのだけど
そのうち ちゃんと入ってくれた。









孫のうながしが 功を奏したというのもあるけどね
どっちにも 入ってくれたの。







どちらかというと このドームが気に入ったみたい。
私は もう 当然のことのように


チコのことを思い出したの。
体格は チコの方が大きかったみたい。





でも ちょこっと顔を出している様子が愛らしく 
らんのことを チコの姿と重ねてみてしまったの。


奥行きがあって 出口が隠れるから


落ち着く場所だったんだろうなぁ。
らんも そんな気持ちになっていたのだと思うよ。


2泊3日は あっという間に過ぎてしまってね
お名残り惜しいけど 3人と1匹は


自分の家に 帰っていったの。
それでは きょうはこれで・・・

幼い魂や弱い動物たちが
痛めつけられない世の中になりますように・・・

弱いものを傷つけることで
自分を保たなければならない人間たちが

癒される世の中になりますように・・・

祈ります。



  


Posted by N子  at 14:59Comments(0)じわっ

2020年10月04日

チコのこと

チコのこと ここでお話しし始めて
間もなく お話をやめてしまっていました。


アメブロの方へ 移行してしまったから。
あのころは 私の心がいそがしく


グンブロとアメブロ 両方にお話をする余裕が
なくなってきていたのです。


チコは昨年2月に おそらく死んでしまったと思われます。


というのは 私たちはチコの亡骸を
確認していないのです。


その時の様子を 今日 ここで
グンブロの皆さんにも 聞いていただきたいと思います。


私にとって 今 読み返しても
辛く苦しく だけど 心揺さぶられるお話なんです。



・悲しい場面・


チコは 何か良くないものを口にした・・・
私たちは そんなふうに考えてしまっていたのですが



先日 夫が どこからか聞いてきました。
近親交配を繰り返して生まれた子は 寿命が短い



という話。
チコは まさに そういう子でした。









私たちは その話を受け入れることにしました。
それが どうも 一番しっくりくるし



私たちの心が 少しは楽になるのです。
私たちには 到底及ぶことができない 



自然の摂理によるものだった という理屈が
心を ちょっとだけ 軽くしてくれます。



ただ そんな子たちがたくさんいる と考えると
何とも言えない切なさが こみ上げてきます。










さて ここに来てくださる人たちの 言葉による励ましや
言葉には出さないけれど 心での応援をいただき



また 私の周りの人たちにも 
たくさん寄り添っていただいたおかげで



私が ずっと抱えて来た 胸のつかえを取り払うために
今日 ここで 悲しい場面をお話する準備が整いました。



チコは 昼間はほとんど外で過ごしていましたが
夜は 必ず戻ってきて 私の隣で寝てくれました。



私が沖縄から帰った日は 夜遅かったにもかかわらず
ドームの中で待っていてくれて 



寝る時には 一緒に 2階へ上がってくれました。






これは まだ 元気な時のチコ 活き活きした顔です。



次の日は 必ず食べていた朝ごはんを食べずに
外に出かけて行きました。 


この頃から ”あれ? おかしいなぁ”
と 今までより少し心配になってきていました。 



そして 夜になって 帰ってきましたが
台所にいる私を 夫が 呼びました。



「おーい チコがびっしょりになって来たぞ」
その晩は 雨が降っていたのです。



私は あわてて バスタオルをもって行って
チコを包みました。



「あぁあ こんなに濡れちゃって」
「チコちゃん さむいさむい・・」





チコは 外から帰ってくると 
いつも まっすぐにご飯の所に向かうのに




その日は そのまま ストーブの前に横になったのです。
それからしばらくしたら 



夫がチコに 優しく話しかけている声が聞こえます。
普段 自分から夫の所に行ったことのないチコが



夫の股の間からあがり 腹の上に仰向けになったのです。
そして しばらくその状態で 


夫に腹をなでてもらっていました。



「めずらしいなぁ チコが自分からオレの所に来たぞ」
夫は とてもうれしそうでした。



しかし そのあと チコが
白い泡のようなものを 口から出しました。




「悪いものを出してしまえば 楽になるよ」
その時の私は 本気でそう考えていたのです。



でも それからは 歩くのもおぼつかないようになってきて
私は しばらく こたつでチコを抱っこしていました。









これは そのときのチコです。
今 はじめて ジックリ見ました。



今まで 見ることができませんでしたので。
この時の チコは 辛かったのでしょうねぇ。


それから 2階の私のベッドには 
私が抱いて連れて行きました。

 

いつものように 私の頭のすぐ横に横たわらせて
眠りに着こうとしたのですが



チコは 人形のように横たわったまま
私のそばに すり寄っては来ませんでした。



途中 2~3回 自力で階段を下りて水の所に来ました。
水を飲みたかったのでしょうか?



しかし 水の入れ物の所にペッタリと腹をついたまま
じっとしているだけなのでした。



私が 指で水を口元に持っていっても 口を開けないで 
しばらくしてから ようやく



口の周りを 舌でペロペロするくらいでした。



再び2階まで抱いて行き 私の布団に寝かせる
ということを繰り返しました。



朝は 私が抱いて下まで連れてきました。
もう すっかり軽くなって 


本当に人形を抱いているようでした。
ストーブの前の座布団の上に横たわらせて



私は 朝の支度にとりかかるため 台所へ行きました。



間もなく 夫の声が聞こえます。
「チコちゃん 今 外へ行くと 帰ってこられなくなっちゃうよ」



私は ハッとして 夫のいる方に目を向けました。
すると チコが サッシのそばに座って 



夫を見上げて 訴えているのです。
”サッシをあけてくれ” と いつものように 。



朝は ほとんど歩けない状態だったのに
どうやって そこまで行ったのでしょうか・・・



夫は しばらく そのままでチコを見つめていました。
私も だまって 夫とチコを見守っていました。



しかし 夫は 決断したのです。
サッシを開けました。



すると チコは よろよろしながら
一段下の 腰掛けイスの上に飛び降り 



そのまま 地面におりました。
私は すぐに チコを追って 玄関を降り庭に出ました。



チコは 庭にいて うずくまっていました。
私は 抱いて連れ戻したい衝動にかられました。



でも よく見ると 
庭にたまった雨水を 自分から飲んでいたのでした。



私は 家に戻って 夫に報告しました。
「お父さん チコが雨水を飲んでいる!」



「そうなん? そうすると 自力で回復させて
また 戻ってくるかもしれない」




私は 水を飲んでいる後ろ姿をカメラに収めようと
急いでスマホを取り 再び外に出ました。



すると もう さっきの所にチコはいませんでした。
私はあせって キョロキョロと周りを見回しました。



すると 階段のほうに向かう坂道を
ゆっくり歩いている チコの後ろ姿が見えました。









「チコちゃん どこへ行くん?」
「お母さんと おうちへ帰ろう!」




その時 チコが振り向きました。
私は あわててシャッターを切ったのですが 









写っているのは チコの横顔だったです。
この写真も ずっと 見ることができなかったので



チコの顔が もうちょっと 
ハッキリと映っていると思っていました。



「一緒に おうちへ帰ろう」



という 私の言葉に反応せずに
チコは ゆっくりと下へ降りて行きました。









私は 連れ戻すこともできずに ただじっと
チコが見えなくなるのを見送りました。



チコの後ろ姿は 弱弱しく見えました。
しかし 体全体で 還るべきところへ向かっている



というオーラを 放っていました。
家の中にいるときは 足がフラフラとよろけていたのに



その時のチコは ゆっくりではあったけれど 
一歩一歩しっかりと 坂道を 下りて行ったのです。



私には チコが自分の行先を 
はっきりと感じていたように 思えるのです。



その時の私の心は 今までの私の人生の中で



どこをどう探してみても 見当たらないような
万感の思いであったと思います。



あの 小さな後ろ姿は 命が持つ
全ての要素を 見せてくれていたと思います。 



今思い出しても チコの様子は
誰にも邪魔することができないような



荘厳さと 揺るぎない覚悟が 
満ち溢れていたように思います。



私は もう たまらずに 家に駆け込みました。
夫が すかさず



「どうした!?」
と聞きました。



「行っちゃったー」
私は べそをかきながら 夫に伝えたのでした。



夫は それを聞いて グッとこらえた表情をしました。
共に 悲しみを分かち合った瞬間でした。



その日 私は ゴミを出しに行きました。
チコは ゴミステーションのあたりによくいたらしいです。



ゴミを出していると ミャ~ という
チコにそっくりの 鳴き声が聞こえてきました。



「あれ? チコちゃん いるの?」
あわてて 声の方を見てみると









違う子が 鳴いていたのでした。
そこは 枯葉が積み重なっていて 





猫たちが 自分たちの居場所を作っていた 
ということが その時初めてわかったのでした。









「チコちゃん! チコちゃん!」
私は その 草の中に向かって呼び続けました。


でも そのうち 悲しくなってきて 泣き声になってしまいました。
朝からの 辛い時間でした。



あとから思い返しますと チコは
あの雨の中 びしょ濡れになって



私たちに お別れをしに来てくれたのです。
普段 自分からめったに行くことがないのに



夫の所にいって 腹をなでてもらい
言葉をかけてもらって 



私と 最後に寝てくれました。
どう考えても これは



お別れに来てくれたに 違いありませんよね。



あぁ やっと これで 
悲しい場面の すべてをお話することができました。



私たちが チコを自然の中に還してあげるため
あえて 病院へ連れて行かずに見送ったこと



だからこそ背負うことになった 諸々の感情
それらを 皆さんに理解していただくためには



やはり 前回の 意見の相違のお話は
なくてはならないものだった と思います。 



この時のことをお話しながら 途中 何度も
悲しみと切なさがこみあげてきて 



話を中断せざるを得ませんでした。



でも ここまでお話したことによって 私の心が
確かに 軽くなっています。



不思議です。
単純だ と笑う方もいらっしゃるかもしれません。



でも 私は うつや自律神経失調症を経験したあげく
自分を単純にするための 努力を続けてきました。



単純で 素直
このことは 人間が 豊かに生きるための



必須アイテムなのだと思います。









「自分から水を飲んだのだから また帰ってくるかもしれない・・」
その言葉に希望をつないて 今日まで来ましたが



チコは20日に出て行きましたので 
いなくなってから今日で9日目になります。



もう どこかで死んでしまっている 
ということを しっかりと 



受け入れなければならない時なのかもしれません。
今日は ずっと抱えていた 



胸のつかえが 下りた気がします。
長い話に 最後までお付き合いいただき



本当にありがとうございました。


私の人生の中でなかでも 
大きな悲しみと感動を受け取ることになった

宝物ともいえるお話を 
今日は 再び グンブロの皆さんに 


聞いていただくことができました。


自分の中にある 大切なお話を
誰かに聞いていただくということは


そのことが浄化され 解放されていく・・・
そのことを通して 自分の心が


より豊かに すがすがしくなるのだと
幾たびか経験してみて しみじみそう思います。




最後に 幼い魂や弱い動物たちが
痛めつけられない世の中になりますように・・・


弱いものを傷つけることで 自分を保たなければならない
人間たちの心が 癒される世の中になりますように・・・


心から 祈る。
  


Posted by N子  at 11:29Comments(2)感動

2020年09月29日

誕生

このたび 私に
8人目の孫が 誕生しました。


この子





2850gだったかな?
小さく産まれました。


そして この子の両親は
4人の男子の 父と母になったのです。






「ようこそ!」
ありがたいことだよね。


誕生からその後 およそ3週間にわたって
赤ん坊を含め 家族のお世話を


夫にも 手伝ってはもらったけれど
ほとんどを 我が家で 私が一手にお世話をしたの。


まったく 怒涛のような日々だった・・・
今 やっとここで報告できる状況になった


って 今そういうところなの。
今日は その報告だけしておきますね。


では 最後に


幼い魂や弱い動物たちが
痛めつけられない世の中になりますように・・・

弱いものを傷つけることで
自分を保たなければならない人間たちが

癒される世の中になりますように・・・

祈ります。

  
タグ :8人男4人


Posted by N子  at 13:13Comments(2)家族のこと

2020年09月06日

続・断食のあと

調べてみたら N子 5月22日からの
5日間 断食をしたのね。


とすると あれからもう
3か月半 たっているという事。









まったく 時間の過ぎるのが 早いこと早いこと。
ねぇ 年齢を重ねれば重ねるほど


時間の流れが速くなる っていうよね。
まったくもって その通り!


って 言いたいねぇ。
5日間 食べないでいたにも関わらす 


私のお腹は はちきれそうにパンパンだった。
これは尋常じゃない って思ってね


色々調べたの。
そうしたら 全ての人に当てはまるわけじゃないけど


お腹が張ったり 便秘になったり 下痢になったり
っていう 過敏性大腸炎 を引き起こす


食べ物がある っていうことで
私はその食材を しばらくの間食べなかったのね。


そのあと しだいに ベンさんが顔を出すようになってきて
やっぱり 今まで食べていた食材に原因があったのか・・


って 思ったんだよ。
それから 一つずつ 食材を食べてみて試していったの。


そうしたら どうも 小麦製品はダメみたい。
大好きだった パンやソウメン 


パスタもラーメンも 焼きそばも 
もう 色々なものに小麦が使われていてね


自分が いかにたくさんの 
小麦製品をとっていたかがわかったんだ。


”あぁ 私は 小麦製品が大好きだったんだなぁ” 
って思ったよ。


だけど 小麦を大量にとると 必ずベンさんが来なくなる
それがわかったからには


やっぱり 食べないで様子を見なければ って思った。
なんたって 猪突猛進のN子だからね


そこは 徹底して 小麦をとらない生活を続けたのね。
3週間続ければ ほとんどの人が腸の調子がよくなる


って書いてあったけど
私の場合は おそらく 2か月くらいは続けたと思う。


だって ほら 猪突猛進のN子 だからさ
馬鹿みたいに やっちゃうんだよ。


この症状って 初めからそうだったわけではなくてね
何かの加減で そういうことになるそうで


逆に これから 症状が改善することもあるのだとか
身体の状態によって 変化するっていうことだね。


すごいね 食べ物と体って つながっている!


その他に 思いもかけないものがダメだったんだよ。
もう5~6年飲んでいた 液体の野草酵素


実は 断食中も これだけは飲み続けていたのね。
とっても信頼していたサプリだったからさ。


だけど 断食中にも飲んでいたことから 
ひょっとしたら・・・ って思ってね


試しにやめてみたら どうも 調子がいい気がしてね 
やめることにしたんだよ。


そうしたら さらに頻繁に 
ベンさんが 顔を出すようになったの。


”あららぁ・・ なんということかぁ・・” って思ったよ。
一番 信頼していたサプリだったんだものねぇ。


ところが ある時テレビで 
発酵食品がいい ってやっていたのを見て


そうだ! って思いついて バカだねぇ
再び 酵素ドリンクを飲んだんだよ。


2日間飲んだだけなのに お腹がね
張り裂けそうなくらい パンパンになってしまったの。


そこで 私は ハッとしたんだよ。
やだ やっぱりこの酵素だったんだなぁ ってね。


これだって 色々試してみたからわかったことだよ。
まさか 5~6年間信頼していたものが


腸の張りの原因だったなんて ショッキングだったねぇ。
そのもの自体は 決して悪いものではない


明らかに 肌の具合もよくなったり
いいところも たくさんあったもの。


だけど あれほどお腹がパンパンになるとなったら
こりゃぁ やめるしかない ってね。


それから 小麦と酵素ドリンクを
なるべくとらない生活を 続けているの。


あ それから乳製品もだった。
牛乳の代わりには アーモンドミルク


そして 酵素ドリンクの代わりには
手作りの甘酒を飲むようになったの。





(甘酒ね 意外と簡単に作れたよ 
それに酵素ドリンクに負けないくらいの良い影響があるの!)



そこはほら 猪突猛進のN子だからね 
突進し続けているの。


自分の体と トコトン向き合って
身体が発信しているサインをキャッチして


「これは ダメだよ」 ってサインが出たものは
極力避けることで 体をいい状態に持っていく。


まったく 自分は完璧 って思っていても
よーく見てみると 体が「ダメだよ」って言っていることを


やっているものなんだなぁ ってね
つくづく思ったよ。



だからって みんなで食事をするときなんかに
「私は これは食べません」 って言うと


その場の雰囲気を 壊してしまうこともあるものね
だから 時と場合によってはおいしく食べるんだよ。


パスタだってラーメンだって さ。  
それに 暑いときは ソウメンも少しだけ食べるよ。


自分が承知していれば ベンさんがそっけなくても
あぁ そうだよな だからベンさんがご無沙汰なんだよな


って 訳が分かるからね。
結局 心も体も 自分が把握している 


っていうことが 大切なんだと思うの。
承知しているうえで行動する っていうこと


たとえ うまくいかないことでも
あぁ そうだよな うまくいかなくても当然だよな


ってさ 自覚できるっていうことだもの。
自分で 自分を承知しているうえでの結果だとしたら


訳がわかっているから 不安もない
それに また 元に戻せるもの。


ね そうでしょ?
だからね やっぱり 


自分を知るっていうことが とっても大切なんだねぇ。
それでは 最後に

幼い魂や弱い動物たちが
痛めつけられない世の中になりますように・・・

弱いものを傷つけることで
自分を保たなければならない人間たちが

癒される世の中になりますように・・・

祈ります。







  


Posted by N子  at 10:24Comments(0)健康

2020年08月29日

あともう少し!

今さ 日本中の人たちが
この暑さに耐えているんだよね。







「もう 勘弁してくれよ」 って思いながらさ。
体温を上回る気温だもの 体がついていけないよね。


N子が住んでいる場所も 群馬県の田舎だけれど
暑いんだよ とっても。


毎日毎日 容赦なく気温が上がって
息つく暇もないくらいの 暑さ攻撃を受けている。


嫌だねぇ。


中には そんな暑さとは無関係の境遇の人も
いるには いるんだろうけど


今 かなり多くの人が 
この 尋常ではない暑さを耐えているんだよねぇ。


まったく そのことだけを考えると
本当に 辛くなるねぇ。


暑さだけではなくて どんなことでも
いつまで続くのか 終わりがわからないことって


辛いよね。
だけど この暑さは必ずおさまる。


あともう少しで 必ず涼しくなる。
ね あともう少しの辛抱だよ。


そして 暑さに耐えている人は
自分ひとりじゃないよ。


日本中の大勢の人たちが 耐えている。
わかってるよ 大勢の人たちが


精いっぱい この暑さと戦ってきたってこと。
ほとんどの人が 思っていないかもしれないけど


いくら おてんとう様にはあらがえないとは言え
人々が いやおうなしに試練を耐えているっていう


この状況は 過酷だよ。
「こんな状況 ごめんだね」 って言って


逃げ出すことができる人なんて 今の世の中じゃ
ほとんどいないでしょう?


だからね みんなみんな 頑張っているんだよ。
すごいんだよ。


疲れたねぇ 逃げたいねぇ・・・  
でも もうあとひと息だよ。


あともう少しで 秋の風が吹いてくるよ。
ね この状況はいつまでも続かないんだよ。


だから みんなで 頑張ろう?
ね 頑張ろうね。 


それから コロナも同じだね。
コロナだって みんなが精いっぱい戦っているんだよね


N子もね もとが閉所恐怖症なのでね
「閉塞感」が 最も辛いことなのね。


マスクで息苦しいことから始まって
東京や神奈川にいる 子供たちの家族と会えないこと


それに 自由に出かけられないっていう
息苦しい状況も


みんな 閉塞感につながってくるんだよ。
N子 時々 夜になるとね


ジッとしていられないくらいの 息苦しさに襲われてね
いたたまれなくなってしまうことがあるんだよ。


コロナ 嫌だねぇ。


だけど このことだって
自分一人だけで 耐えているんじゃないものね


世界中の人たちが みんな
同じ思いをもって 耐えているんだものね。


本当に 何か月もの間 懸命に耐えてきたんだものねぇ。
まぁ 耐えざるを得ないわけだけれど 


それにしても コロナで亡くなってしまった人もいる中
コロナに関連した仕事に従事している人たち


誹謗中傷を受けている人たち
辛い状況 悲しい状況もある中


それぞれが みんな 限界を感じながら
本当に よく耐えてきているよねぇ。


だけどね コロナだっていつかはおさまるよ。


ほら ワクチンができてそれを使えるようになれば
今の状態は 必ずおさまる。


だから あともう少し
ワクチンの話題が そろそろ出始めているんだもの


先が見え始めてきたってことでしょう?
ね 一人だけで耐えているのだと辛すぎるけど


世界中の人たちが みんなで耐えているんだよ。
だから あともうひと息 がんばろう?


ね 頑張ろうね!


今日の話は 私自身に向けても伝えているの。
ともすると 泣きたくなってしまいそうな


私の心に向けて・・・  ね。
それでは最後に


幼い魂や弱い動物たちが
痛めつけられない世の中になりますように・・・

弱いものを傷つけることで
自分を保たなければならない人間たちが

癒される世の中になりますように・・・

祈ります。



  


Posted by N子  at 14:30Comments(0)

2020年08月18日

ミョウガの香り・匂いがわからない

今年のサンショウの時期(5月頃)は 
相変わらず 私の鼻は匂いがわからない状態だったの。


あの サンショウのいい香りが 
ちっともわからないのでね


「サンショウをつんで 
食べられるようにすることは 


私にとって 悲しくなってしまう作業だから 
今年は サンショウとらないよ」
  


って サンショウ大好きな 
息子とその奥さんに宣言して 


今年は 本当に いっさい
サンショウの木の所には 行かなかったのね。


そして ミョウガ
去年の ミョウガの時期は 


今年の サンショウの時と同じでね
やっぱり 悲しくなってしまうから って



ミョウガ大好きな 子供たちに 
ミョウガをとってあげなかったの。


だけど しばらく前にここでお話したように
今年は ミョウガをとりに行ったのね。


ほら 炒めてから味噌で味をつけると
ご飯に合う
 って話したことがあるでしょ?


そうなの 今年はミョウガ採りに行っているの。
ね 大好きなミョウガをとってきても


あの いい香りがしないってことは
とっても悲しくて 辛い気持ちになってしまうからね


そんな気持ちになることを 私は避けていたんだね。
だけど それがどうして 


今年は ミョウガをとりに行ったかっていうとね
前回お話した 耳鳴りのDVDの影響なの。


「耳鳴りはつらいけど ジッと向き合え」 
って あれね。


”ミョウガの香りを 感じないことを 
あまり 大げさに考えないでみよう”



って 思ってね 私 今年はとりに行ったのね。
今年はじめてとってきたミョウガは


香りはするにはするのだけど なんというか
ミョウガに近いけど ミョウガの香りとは言えないような


これだ! っていう香りではなかったの。
”やっぱりなぁ・・” ってね


ちょっと がっかりしたのだけれど
そのときは ”まぁいいか” って思えたのね。


ところがさ そのあとほら 瞑想の時に 
”鼻は匂わなくていい” って


何度か言った って言ったでしょ?
それから 少したって


大量のミョウガをとりに行った後
キュウリとミョウガを 塩漬けにしたものを食べたらね


するんだよ 香りがさ
間違いなく ミョウガの香りがしたんだよ!


私はね 3年近くも匂いがわからない状態でいたから
これは間違いじゃないのか ってね


何度も何度も 確かめた。


あのね 前にも話したけれど
匂いって 口の中でそしゃくしながら感じているのね。


だって 鼻先にミョウガを持ってこなくても
食べながら はっきりわかったもの。


口の中でも ミョウガの香りがしたもの。
私はうれしくてね すぐそこにいる夫に言ったの


「お父さん 今 ミョウガの香りがしているんだよ!」
「なんだか 胸がいっぱいだよ」



「・・・・・・・」 


夫はね 
必ず ともに喜んでくれているはずなんだけど


どんなふうに言葉をかければいいか
わからないのだと思う。


それはわかっているのだけれど 私ね
それでは物足りなくってね


たまたま 一緒に食事をしていた
息子夫婦のところに すっ飛んでいってね


「今ね ミョウガの香りがわかったんだよ」
「うれしくってさぁ」



って 伝えたら
「よかったですねぇ!」 って


息子の奥さんが 言ってくれたの。
「ばあちゃん よかったねぇ」


そばにいた 6年生の男の孫まで
声をかけてくれたんだよ。


みんな 何もかも知っていたからね
私は それで やっと気が済んだの。


もちろん 息子も喜んでくれてはいたと思うの。
だけど すでに嫁と息子が言葉にしていたものだから


自分が 口をはさむ隙間がなかったんだと思う。
だから 共有していた感はあったのね。


話は戻るけど これってさ 
”鼻は 匂わなくていい” って


口に出して言ったから 匂いがわかるようになった 
とは断言できないけど


心になくても 口だけでもいいから言葉にすること
それって 口だけで言っていることでもさ


自分が自分として 心も体も 
それを聞いている ってことでしょ?


だから 心が伴わなくても
自分のどこかで それを受け入れている


っていうことかもしれないじゃない?


だから コトダマ って言うのかねぇ?
口から出す言葉って 大切なんだ ってさ。


そのあと お盆の準備やらなにやらで
あわただしさが始まってきて


他のものの匂いを じっくりと確かめてみていないの。
あのね 匂いがわからない期間が


あまりにも長かったためにね
よーく考えないと これがそのものの匂いなのか


わからなくなってきているんだよ。
食材の匂いも 生活のにおいも 何もかもが


今までずっと 違うにおいが染みついているのね。
だから しっかり向き合って


これは そのものの匂いかどうか ってね
確認しないと ハッキリとはわからないんだよ。


たぶん ほかの物も 
完全ではないかもしれないけど


かなり 復活してきているのだと思うんだよね。


そこで 今までを振り返ってみるとねぇ
”いつかきっと 匂いはわかるようになる”


っていうふうに ずっと信念は持っていたなぁ。
そして そのいつかが 今 来たのだと思うの。


これから 少しずつ 色々な匂いが
復活していくのだと思うのね。


あのね 匂いが戻るってね
一気に 劇的に 戻るのではなくてね


少しずつ 少しずつ 
感じる匂いが 変化してきてね


だんだんと 元の そのものの匂いになってくるの。
少なくても 私の場合はそういう戻り方だったよ。


途中 恐ろしく感じたこと 悲しく感じたこと
焦りを感じたこと 色々あったよ。


でも この ミョウガの香りは 確かに 
匂いが戻ってきていることを 知らせてくれている。


とうとう この時が来た。
ずっと 待ち望んでいた この時が来た。


お盆があって 準備があったり人が来たりして
あわただしい日が続いてね


匂いが戻りつつある っていうことを
あまり ジックリと考える余裕がなかったけれど


今 この報告をしながら
しみじみと 感じています。


長いトンネルを 通ってきたけど 
目の前に光が見えてきたなぁ
 って。


今 感慨深い気持ちでいっぱいです。
ここで皆さんに ご報告できること うれしいです。


では 最後に

幼い魂や弱い動物たちが
痛めつけられない世の中になりますように・・・

弱いものを傷つけることで
自分を保たなければならない人間たちが

癒される世の中になりますように・・・

祈ります。


  


Posted by N子  at 19:46Comments(0)感動健康

2020年08月11日

続・自分と向き合う・体

人間って 体も心も常に変化しているなぁ
って 思う。


心だって 常に少しずつ成長しているものだよ。
誰の心もね。


そして 体も同じ!
最近 私は 体に対する向き合い方を


大きく変えることになったのね。
きっかけは 耳鳴りをどうにかしたい人向けの


DVDを取り寄せたことなの。
大きな耳鳴りに悩まされるのは もう2回目だから


はじめての時と比べると 
かなり 放っておけるようになってはいるの。


でもね 私 根がお節介なものだから
耳鳴りを経験している 私なら

 
この先 耳鳴りで困っている人のために 
お役に立てるかもしれないなぁ って考えたの。


そりゃぁ 自分のためでもあるけれど
とにかく どんなものなのか取り寄せてみよう


って思ってね DVDと本をセットで取り寄せたの。
耳鳴りで困っている人のために 


いろいろ教えてくれる先生が 本でもDVDでも
繰り返し言っていることはね


耳鳴りはつらいけれど 遠ざけないことだ 
っていうんだよ。


私もそうだけれど 多くの人が
”耳鳴りは嫌だなぁ まともに考えたくないなぁ”


って 反応しているのだと思うの。
そうして なるべく考えないようにしているのだと思う。


まともに向き合うと なんか
恐ろしいことになるような気がするもの。


パニックになってしまうような ね。
だから はじめは 


”そんなこと無理だよ”
って 思ったんだよ。


だけど その先生は
「じっと 耳鳴りに気持ちを向けろ」 って言っている。


そうして
”耳は鳴ってもいい 耳は鳴ってもいい”


って 口先だけでいいから
頭の中で 言い続けているうちに


耳鳴りに対して それほど大変に感じなくなってくる
っていうの。


”ふーん” って聞いていた私は
幾日かしてから 重要なことに気づいたの。


”あら これって 
心と向き合うときと 同じ考え方かも?”
 ってね。


そうだよ
”自分の心と しっかり向き合って


自分の心の中は どうなっているのか
知ることがとっても大切なんだ 


って 自分でも言っていたっけ”

ってね 気づいたんだよ。


”そうだよなぁ 体だって同じだよなぁ”


”考えないように どこかへ追いやろうとしていることは
やっかい払いをしているようなものだよなぁ”


”先生が言っているように 
そうなるにはそうなる原因があるのかぁ”


”あれ? それも心と同じだなぁ”



って 改めて考えてね
ある時 じっと 耳鳴りを聞いてみたんだよ。


(私の場合は 耳が鳴るっていうより
頭全体が ワーン ってなるの)



そうしたら はじめての時には恐ろしすぎて
いたたまれないくらいだったのに


”あぁ なっているなぁ”
って 客観的にとらえることができたのね。 


ただねぇ 心の場合もそうだけど
そのものと しっかり向き合うためには


それなりの 心の準備が必要でね
いきなり 耳鳴りに向き合うように って言われても


できないかもしれないなぁ って思う。
かつて 私が 耳鳴りに悩まされて


自律神経失調症になってしまった時なんか
まだ 準備ができていなかったと思うのね。


あの時では 今のように
”あぁ 鳴っているなぁ” って


客観的に考えることができたかどうか・・・
どうも 無理だったんじゃないかなぁ って思うの。


だからね 心にしても体にしても
向き合うには やっぱり準備がいるのだと思う。


私はすでに ひどいのを経験したことがあるのでね
とりあえず 準備ができていたんだろうなぁ


って 思うんだよね。
とりあえず 今はそんな状況なので 私ね


そのあとの 瞑想中に 
”頭は鳴ってもいい 頭は鳴ってもいい”


って 心の中で何回か言ってみたんだよ。
そして そのあと


”鼻は匂わなくていい 鼻は匂わなくていい”
って 追加して何回か言ってみたの。


あのね 私の鼻はまだ匂いが戻っていないんだよ。
匂わなくなってから もう2年半をとっくに過ぎているの。


まったく 長いよねぇ 2年半ってさぁ。
最近は 匂わないって言ってもね


そのものの匂いとは違うにおいが することはするの。
でも ちゃんと そのものの匂いがかぎたい!


食べ物もね 味だけで味わっているのではない
っていうことがわかったよ。


口に入れた食べ物の匂いを そしゃくしながら
感じているものなんだ っていうことがさ。


この1~2週間の間に 
私は 大きな発見をした気がする。


考えてみれば 当然のことだったのかもしれないけど
心と体 両方の 成り立ちが同じだから


向き合い方も同じだったんだ っていう発見だよ。
発見って すでに そこにあったことを見つける


って ことだもの。
当たり前だったことなんだろうけど 


それを 改めて自分で見つけた ってことなんだよ。
そんなことって まだまだたくさんあるのだと思う。


すでにそこにあるのに 
自分が気づいていないだけのこと ってさ。


さあ このあと私に大きな変化が起きたんです。


そのことについて
このままお伝えしたい気持ちは やまやまだけど


そろそろ お話に区切りをつけないと
このあと 大忙しになってしまうので


続きは次回に回すことにしますね。
それでは 最後に


幼い魂や弱い動物たちが
痛めつけられない世の中になりますように・・・

弱いものを傷つけることで
自分を保たなければならない人間たちが

癒される世の中になりますように・・・

祈ります。

  


Posted by N子  at 10:05Comments(0)健康

2020年08月08日

親心

親心の親って 私のことね。
私も 3人の子どもを持つ母なんです。


どっちかというと 私の場合は
あまり 面倒見のいい母とは言えないと思います。


子どものところには ほとんど行かないし
何か物を送るということも あまりないんです。


子どもたちを迎えることのほうが 断然多い。
そりゃぁ 何かの時には


全面的に 応援をする気持ちは 
持っているけどね。


先日 ここで ミョウガが採れるお話をしたのだけれど
夫の他は家族全員 ミョウガが大好きなんです。


でも 今 お店で買おうとすると
いくつも入っていない 1パックが


けっこう値段が高いのね。
我が家の畑では どっさり採れるのにねぇ。


そこで 私は どっしり重たい腰を持ち上げたの。
コロナで お盆にも帰ってこられない


二人の子供のところに ミョウガを送ろう
ってね。


ミョウガは生ものだから 送るとなったら
収穫して 洗って 梱包して クール便で送る


という作業を 一日で済ませなければならない。
何が起こるかわからない 私のあわただしい一日に


これをすることは けっこう覚悟を持たないと
やり遂げられないんです。


いえいえ 大げさじゃないよ。
真面目だよ。


だけど やり遂げたんです。
無事にね。  (なんか 恩着せがましいねぇ)







あまり暑くならない朝のうちに 出かけて行ってね
のぞいてみたら あるわ あるわ・・・


私は思わず うわー! と叫んでしまったの。
もう だいぶ 花が咲いてしまっているけど


これなら 二人の所に送る分は
簡単に収穫できる って思ってね


夢中になって ミョウガを採ったのね。
夫が言うには ミョウガのためには 


草の中にある方が いいんだって。
でもね 草やツルにおおわれた中の


ミョウガを採るにはね 色々大変なんだよ。
かぶっている百姓帽子は 草やイバラが邪魔をして


すっぽり脱げてしまうしね
目の周りには 汗がたまってきて 


ミョウガが ぼやけてしまうしね
もう 大変な思いをして収穫したんだよ。







おまけに 家に帰ってきて
外の水場で いい手間 ミョウガを洗ったあと






やっと 家に入ってから気づいたんだけど
ヒルがね 荷物の中からポロっと落ちたの。


ヒル 知ってる?
動物や人の血を吸う あれは虫なのか何なのか?







ほら この子
丸々太っているでしょう?


これは 人の血を吸って
これ以上 もういらないよ っていう状態なの。


やつは 私の血を吸っているに違いない!
って思ってね 


なんか違和感があった 腕のあたりを触ってみたけど 
なんでもない。


あのね ヒルにかじられるとね
そこの部分が 血だらけになってしまうんだよ。


でも 腕の所はなんでもなかった。


だけど そのあと 家の中の鏡を見て
ビックリ ぎょうてん!


首から 血が流れていた・・・
あのさ お化け屋敷のお化けの役の人みたいに


首の所が 血だらけになっていてね
私は またまた うわー!! ってね


叫んでしまったんだよ。
なんだなんだ 首がかじられていたんじゃないか・・


しかも 2か所もね。
そんなにかじられていたのに 


少しも 痛くもかゆくもないんだよ。
まったく 忍者みたいなやつなんだ。


夫のほうはね ヒルにかじられることは日常茶飯事。


それを見ているから 私
痕が残るって言うことを知っている


「いやだなぁ ヒルって痕が残るじゃない
お父さんはそれでもいいけど 私は女だからさぁ」



「もう 女じゃなかんべ?」
(もう 女じゃないだろう?)



「まだ 女だよ!」
なんてね 言ったところで


首だからね あとが残るのは嫌だよね。
そこで 考えたの。


庭に出ている ドクダミを焼いてしんなりさせて
首に巻いてみよう
 ってね。






これを首に巻いて 二日ばかり過ごしたところ
皮がむけて 赤い肌が出てきてしまって・・・


ヒリヒリしてきた。
おそらく ドクダミっていうくらいだから


ヒルの毒は 出してくれたんだと思う。
だから この赤肌がよくなって来れば


夫のように ぷっくりと
はれたりしなくて済むのだと 


何となく思っているところなの。


あれ?
ヒルの話が 長くなってしまったね。


とにかく それでも何でも
子どもたちに 大好きなミョウガを食べさせたい・・


その一心で ミョウガ採りをしたんです。
話としては たっぷりと 


恩着せがましい話になってしまったけど
その一心の気持ちが モチベーションとなって


草やイバラの中を はいつくばっても
ミョウガを採ることができた。


これを困難というのは 大げさかもしれないけど
困難に打ち勝つためには モチベーションが必要なんだよ。


ちょっとした困難の中 
ミョウガを採るという 作業については


子どもたちに食べさせたい という
親心が モチベーションだったけれど


カウンセリングの勉強にも 私の中に
大きなモチベーションがある。


それがなければ この年齢で この場所で
とうてい 続けられなかったと思うのね。


何かを続けるためには モチベーションって
とっても大切だよ。


”このために 私はこれをやっている”


その 「このため」 っていうものを
設定すること って


けっこう 重要なんだよ。
自分の中だけの 大切なキーワードだね。


何かやり遂げたい って思うときは
自分だけのキーワード このために・・・


っていうものを 設定しておくとね
もうやめてしまいたいなぁ なんて思った時に


キーワードを思い出すことで
”よーし あともう少しがんばるぞ”


ってね 
思いなおすことができたりするんだよ。


すごいねぇ 人間の心ってさぁ。
それでは 最後に


幼い魂や弱い動物たちが
痛めつけられない世の中になりますように・・・

弱いものを傷つけることで
自分を保たなければならない人間たちが

癒される世の中になりますように・・・

祈ります。
  


Posted by N子  at 19:56Comments(0)じわっ

2020年08月02日

生きているもの

先日 田んぼへ行って見つけました。






稲の穂が出始めたところ。
この辺は 「出穂(でほ)」 って言います。


あ どこでもそう言うのかな?
まだ生まれたての 稲の穂。






この 一粒一粒が成熟して
私達が食べる 米になる。


この日は ついでにミョウガもとってきました。
ごみを洗って それを刻んで







ほ~ら 炒めてから味噌で味付けます。
ご飯にとっても合うんです。


それからね






よく 庭に来る子
さっきまでくつろいでいたのに 


私がカメラを向けたら 構えてしまったね。 


夫も私も もう少し
この子と 親しくなりたいのだけれど


あまり近づくと 逃げられてしまうの。
「ねぇ もうちょっとそばに行ってもいい?」






逃げられてしまっては 元も子もないので
ちょっとだけ接近して 写真を撮らせてもらいました。


あぁ この世の中は
生きている者たちで つくられている。


大げさかもしれないけど 
この頃 そんなふうに思うことがよくあるの。


自分は人間だけど 生きているものとして
たくさんの命と 同じ時を ともに生きている。 


ジョーや クマや チコと暮らしたから・・







あの子たちから 命にはみな同じ価値がある


って 教えてもらったから・・・・
稲穂も ミョウガも 近所の子たちも


どこか 生きている者同士 
って 目線で向き合えるようになったの。


そうして それととともにね
私の心の奥底に 確信が生まれたの。







自分が幸福感をもって生きるために 
とっても 重要なものは


自分の心なんだ って。
相手を 周りを 変えようとしても


どうにもならないもの。
かつての私のように


あんたのせいで この環境のせいで
私は不幸なんだ
 って言っているうちは


相手次第の人生を生きている っていうことだもの。
相手が 環境が 変わってくれれば


私は幸せになる
 って思っているうちは
自分の世界を自分で作っていない っていうことだもの。


あの子たちは それぞれの生きざまをもって
私に そのことを伝えて行った。







世の中のすべての 小さな生き物たちは
全身全霊で そのことを私たちに教えている。


どれほど甘えていた子であっても
どれほど わがまま放題に生きていた子であっても


最期の時には 人間の心を強く揺さぶるような
見事な別れを 私たちにみせて逝く。


自分の生きざまを 周りのせいにせず
自分で責任を持ち 


その子でなければできないような
あっぱれな別れ方を 最後に置いていく。


私は つくづく思います。
あの子たちと暮らせて 本当に良かった と。


そうでなければ 稲穂を見ても ミョウガを見ても
近所のあの子を見ても 何も感じることなく


淡々と暮らしていただろう ってね。
もちろん カウンセリングの勉強になんて


とても たどり着くことはなかっただろう 
って思います。


では 最後に  

幼い魂や弱い動物たちが
痛めつけられない世の中になりますように・・・

弱いものを傷つけることで
自分を保たなければならない人間たちが

癒される世の中になりますように・・・

祈ります。

  


Posted by N子  at 16:53Comments(0)感動

2020年07月29日

自分と向き合う・心

自分の心と向き合う ってひと口に言ってもね
向き合い方って いろいろあるんだよね。


あのさ 自分の心と向き合うって
自分のことを知る ってことだよね


たとえば この間話したような
自分って 笑いたくないのに


周りに合わせて 無理に笑うよなぁ
とかさ


自分って どうしても人を受け入れられない
なんか 開放的じゃないよなぁ


とかね
なんとなく わかっていること 


なんとなく 気づいていること ってね 
あるもんだよ 人ってさ。


だけど たいていの人がそこまでで
その先へは なかなか進まないものだよね。


人に合わせて無理に笑うのって
本当は 疲れるし嫌だものね 


それに もう少し自分を解放したい
って どこかで感じている自分を


多くの人が なんとなくわかっているものだよ。
だけど そんなこと考えるの面倒なんだよね。


だって そんなことに目を向けると
辛くなる気がするものね。


無意識が やめておけって言っているんだよ
面倒なことになるぞ ってさ。


多くの人が そんなジレンマを抱えているのだと思う。
そうなんだよ 自分の心としっかり向き合うのって


けっこう エネルギーがいるものなんだよ。
だからね 自分がつかれているとき


エネルギーがなくなっているときは
自分とがっちり向き合うのって 無理なんだよね。


心理学で重要なことってね 自己理解なんだって。
自分の心に とことん向き合って


自分のいいところも 嫌だと思っているところも

いいとか悪いとか そういう判断ではなくて


ただ
ちゃんと 承知するっていうことなんだって。


私は 箱庭のトレーニングの中で
なんとなくわかっていたけど 


さほどには 感じていなかった
自分の見たくないところをね 


思いがけず 
観ることになってしまったの。


カウンセラー役とクライアント役 という
あくまで 疑似体験であるにもかかわらず


トレーニングの中で 毎回
自分の内面とガチで向き合うことになってしまう。


とっても不思議だよ。
そして 何とも言えず辛い感じがしたの。


何となく感じていた 自分の一面。
自分って 心のことを学んでいて


内面もどんどん成長してきている ってね
思っていたから 


自分が周りに対して 嫌なものを振りまいていた
っていうことを 自覚することは


辛かった。
猪突猛進なところも 


ある意味 押しつけがましかったりね
知らない間に いらぬおせっかいをしていた


なんてね しだいにわかってきたのね。
このことは しっかり自分で向き合うことが


なかなかできなくて 
”私らしくないなぁ” って思いながらも

 
しばらく 落ち込んだりしたんだよ。
でもね 


「これって 訓練で直りますか?」
って 先生に質問したらね


「はい 直ります」
って 力強く先生は答えてくれた。


私はそれまで 内心 困ったなぁ って思っていたから
それで 勇気が湧いてきてね


時間はかかったけど それも自分だ って
受け入れることができたのね。


自分の本質は変わらない だけど
人ってね スイッチを使うことができるのね


いざ 猪突猛進を抑えて向き合おう
っていうときに スイッチを入れるの


そうすると 押しつけの根性は
陰に隠れてくれる。


だから 自分が向き合う場面によって
お節介な自分と そうでない自分とを


使い分ければいいんだな って
考えたの。


ねぇ? そういうことなんだよ。
自分と向き合う ってさ。


自分で受け入れたくない部分に
真正面から向き合う っていうことによって


あらためて そういう自分も自分の一部で
愛すべき自分には違いないんだな ってね


ちゃんと 思ってあげることで
もしも そういう一面が出てきたとしても


”おっと 猪突猛進出てきたか・・”
”今日のところは 隠れていてね”



っていうふうに 思うことができるでしょ?
ただね 人によっては


一人で向き合うのが 大変なこともある。
ともに寄り添って ともに歩んでくれる伴走者


そんな存在が必要なことも あると思うの。
その伴走者になろうとしている人が 


カウンセラーなんだよ。
まだまだ 日本では


カウンセラーの存在は 浸透していない。
私は たくさんの人たちが


なるべく負担が少なく  
気軽に 自分と向き合うことができる 


ワークショップを
広めていきたいと思っています。


カウンセラーの存在が 
たくさんの人たちに 届きますように・・・



それでは 最後に

幼い魂や弱い動物たちが
痛めつけられない世の中になりますように・・・

弱いものを傷つけることで
自分を保たなければならない人間たちが

癒される世の中になりますように・・・

祈ります。
  


Posted by N子  at 17:10Comments(0)カウンセリング

2020年07月21日

自分と向き合う・体


そもそも 人間って
体と心と魂 とで構成されている


って言われているでしょ?
今日は その中の 体について考えてみるのだけど


”自分は健康だ” って思っているとしても
細かく見ていくと 


けっこう 気になるところがあったりするものだよね。
私もね 自分で思っているの


”私って 健康オタクだなぁ” ってね。
あのね もう 35年以上前に鬱になったことがあってね


それから 15年もたってから
自律神経失調症 にもなった。


そうしてね 鬱になった経験をしてから 
心の健康について ずっと 考えてきたのね。


それから 自律神経失調症になったあとは
体の健康について たくさん考えて


そして 考えたことでいいと思ったことは
すべて 自分の体で試してみたの。


ほら 先日お話した 「断食」なんかも
そういうことだよね。


だから 体の健康と向き合って
もう 20年以上 暮らしてきているんだね。


その間 たくさんのノウハウが
私の中に 蓄積していると思うのね。


さいわい 大したケガも病気もせずに
今日まで 生きてきているけれど


それなのに 今になって
あの おなかの張り でしょ?


と言っても 今に始まったことじゃなくて
考えてみたら もう 10年以上の事かもしれない。


今ね ベンさんとは
だいぶ 仲良しになってきているのだけれど


「張り」 がね 
ちっとも 変わらないのでね


今のところ 訳がわからない状態なのね。
断食のあとから 50日くらいたっているところでね


もうそろそろ 
訳がわかっても いい頃だと思うのだけど


ここで諦めずに あと少し 踏ん張って
今のやり方を 続けてみようと思っているところ。


それからね 20年以上前に経験した
自律神経失調症 なんだけど


きっかけは 耳鳴りからだった。
その耳鳴り 今また始まってしまったのね。


20年前 自律神経のバランスを崩したときは
耳鳴りが 恐ろしかった。


夜も眠れないほど 耳鳴りに支配されてしまって
つらい経験でしたよ。


耳鳴り って言ってもね 耳が鳴っている感じと
頭の中が鳴っている っていう感じとあるのね。


私の場合は 頭の中が鳴っている感じ
ワーン ワーン ってね。


今だって 頭の中が鳴っていることを追及すると
恐ろしくなるから


”あぁ 鳴っているなぁ” って思うくらいにしているの。
だけど 耳鳴りってしつこいからねぇ


ここいらで どうにかしたいと思ってね
20年前には まだできなかった 検索をしてみたら


耳鳴りに関する情報が たくさんあったのね。
その中の一つの情報の DVDを取り寄せて


自分でやってみようと 思っているところ。
そうこうやっているうちに ピンときたことがあってね


むかーし買った 首とか肩とかをマッサージする器械で
耳の周りを マッサージしてみたら


耳鳴りは あまり変化がない気がするのだけれど
アゴがね ほら パオのやりすぎ(だと思う)


口を開けるとき痛くなってしまった って言っていたあれね
それが あまり痛くなくなっているの。


顎関節をマッサージしているわけではないのにねぇ。
もう なんだか 訳がわからない状態。


でもね おなかの張りにしても 耳鳴りにしても
あれこれと考えているだけではなくて


とにかく 自分で試してみる というところが
何か ことが動く 第一歩なんだと思うのね。


「どんなにいいことだとしても 考えていただけでは
人生には カウントされません」


メンタルトレーニングの学びの中で
よく言われる言葉です。


私たちは あれこれと 頭の中で考えたり
人がやっていることで いいなぁと思うことは


たくさんあるけれど 
考えたり思ったりしているだけでは


人生の中で やったことにはならない。
どんな結果になるとしても とにかくやってみる。


あっちとこっちを 試してみる。
実行に移してみなければ 何も動かないものね。


私の耳鳴りも 一度経験しているから
20年前ほどには 私を攻撃してきていません。


むしろ この機会に
この耳鳴りの正体は なんなのか?


自分の体で 探求してみよう
って 思っているんです。


そして かつての私のような
耳鳴りで苦しんでいる人たちが 少しでも


心が軽くなるような ヒントを見つけたい
そう思っています。


誰かを頼るのではなく 自分の頭で考え
自分の体で感じ ダメだったらまた


自分で調べて 違う方法を試す
それでいいんだと 思います。


それが 自分と向き合う っていうことだと
思うんです。


自分の体は 自分でしか動かせない。
自分の人生も 自分でしか動かせない。


自分に ガチで向き合うことで
体も 人生も 動いていくんだよ。


自分と向き合っている人たち
自分の人生を 動かそうとしている人たち


がんばれ。



それでは 最後に


幼い魂や弱い動物たちが
痛めつけられない世の中になりますように・・・

弱いものを傷つけることで
自分を保たなければならない人間たちが

癒される世の中になりますように・・・

祈ります。

  


Posted by N子  at 17:09Comments(0)健康

2020年07月17日

よこ文字

私ね もうすぐ70歳になる年齢なんです。
いわゆる 高齢者 ね。


仕事柄 どうにかパソコンを使い スマホも使います。
だからね わからないよこ文字は調べることができる・・


っちゃ できるけれど
高齢者 全部が全部調べることができるわけではない


と 思うんです。
調べられる って言ったって


とにかく 今の世の中 よこ文字が多いのでね
そのたびに いちいち調べなくては


何を言っているのかわからない
って場合だってあるんです。


だいたいね 政治家がよこ文字を
当たり前のように使っているんだもの


一般市民としては 
”よこ文字が理解できない自分は


日本の中で 遅れているのかなぁ?”

ってね 思ってしまったって仕方がないよね。


政治ってさ 世の中の企業なんかとは
わけが違うと思うんだよね。


政治家ってさ この国の誰に対しても
理解できる内容を伝えなければならないわけでしょ?


とうぜん 高齢者にだって 子供たちにだってね。
それなのに なんで わざわざよこ文字を使うんだろう?


ちょっと前に カウンセリングの学びの中で
ニューヨークで 牧師さんとして30年以上暮らしている


日本人の男性の講座に出席したことがあるのだけれど
そんな 日常を英語で暮らしている人が


「日本で使われている和製英語は わからない」
「これってどういう意味? って日本人の友人に聞くんです」



って 言っていたのが印象的です。
少なくとも 政治家くらいは


全部が全部 とは言わないまでも できる限り
日本語で表現する努力は してもらいたいものだなぁ


って 思ってしまうんです。
だって ほんと うっかりすると


一つのフレーズで よこ文字の方が多かった
なんてことだって あるものね。


今の状況だと 多くの高齢者が
理解できないなぁ と思っている世の中の言葉は


かなりあると思うのね。
だけどさ 世の中の流れって


日常的に使われていることには 
疑問を持ちずらいんだよね。


特に 政治家が当たり前のように使っている
言葉 なんてね。


若い人たちにとっては 
どうということは ないかもしれないけれど
 

高齢者 と呼ばれる人たちの多くは
なんだかよくわからないけど 


コロナのことで 何か言っているなぁ

なんてね そんなくらいに感じている人だって 


いると思うんです。


「ソーシャルディスタンス」
「ウィズ コロナ」


「GO TOキャンペーン」
「GO TOイート」



今 まさに必要なこんな言葉も
何となくわかる っていう程度で理解していることだって


あると思うの。
なんで?


なんで 日本の国の日本人が
よこ文字入りの日本語で 大ごとしなければならない?



今 しっかりと理解しなければならない
大切な内容なのに 何となくしかわからない


ってね おかしいと思うのね。
今の高齢者は 日本の経済を支えてきたんだよ


バブルも経験してさ 
バブル崩壊も経験してきたんだよ。


それが たまたま 
ネットやら カードやらの世の中に変わってきてさ


そこになじめないでいるだけなのに
社会は ついてこられる者だけを相手にしていて


そうでないものは 置き去りか?

ってね 思おうとすれば 思えるんだよ。


そんなわけでね 今の日本は
高齢者にとって 薄情になっているなぁ


って 思う。
カード カード って言ってね


カードを使えば 何パーセント還元だとかって
当たり前のようになっているけれど


カードとか使いたくない っていう高齢者は
結構いると思うの。


私の場合は おそるおそる
ネットの買い物には 使っているけど 


その他は 現金を使っている。
還元 っていう利益を得ている人たちと比べて


優遇されていないなぁ って思ってしまう。
そりゃぁ 使えばいいんだろうけど


あのね 高齢になってくると
新しいことに 頭がついていかなかったり 


怖く感じたりするものなんだよね。
私は 高齢者としてね


そんな 高齢者の立場からの見方を伝えたい
って 思ったから


なんか 愚痴っぽい話になってしまったけれど
あえて 今日は お話ししました。


それでは 最後に


幼い魂や弱い動物たちが
痛めつけられない世の中になりますように・・・

弱いものを傷つけることで
自分を保たなければならない人間たちが

癒される世の中になりますように・・・

祈ります。
  


Posted by N子  at 15:55Comments(0)猪突猛進

2020年07月01日

続・自分にOK

このところ 私の日常は
いつも以上に あわただしいんです。


ほら 梅の時期ですから。
雨の中 雨合羽を着て梅採りをしたり






とってきた梅を まぁ~
いろいろに手を加えて 保存食に作っている最中なんです。


だから 頭の中は ずっと梅のことでいっぱいでした。
やっと今 それらを容器に保存したり かき混ぜたり






落ち着いた段階にきたところです。
あ まだこれから 梅を干す作業は残っていますけどね。


さて 自分にOKの続きです。


私もね 自分に対して


”どうしてこうも 
うまくいかないことばかりなんだろうなぁ?”
 


ってね ずーっと歯がゆく思っていた時期がありました。
だって どうしてそうなんだか


ちっとも 訳がわからなかったからね。


前回もお話ししたように どうしてなのか?って
考えるっていう事は 自分のことを知る 


ってことに つながるんだよね。
”自分って 周りと比較してしまう癖があるなぁ” とか


”そういえば自分は 親から 
ダメだぁダメだぁって言われてきたなぁ”



とかって
自分で自分のことを承知することが必要なんだ ってね。


”自分って 笑いたくないのに笑ってしまう”
”周りの人に合わせるために・・・”


”自分って 人を受け入れられない”
”どうしても 人を心から信用できない・・・”


”嫌なのに いやって言えない”
”あの人はちゃんと 嫌ですって言えているのに・・・”



これってね 自分のことを承知しているっていう事だよね。
それがいいとか悪いとかっていう事じゃぁなくてさ 


どんな自分にしろ 自分のことを知っている
っていう事が とっても大切なんだよ。


だってさ そういうことってさ
全部 そうなる理由があるんだもの。


そういう自分はダメなんだ って思うこと
ちっとも ないよ。


自分を押し殺して 周りに合わせるっていう事だって
そうしなければ 生きて来られなかったからかもしれない


人を受け入れられない事だって
人に受け入れてもらえなかった 辛い経験が


あるのかもしれない。
嫌だよ って言えない事だって


自分の意見なんて とても言えない環境で
育ってきたのかもしれない。


そうなんだよ 
すべて それにはそれの理由があるんだよ。


そうしてね そんな自分も自分の一部なんだ
っていうことなんだよ。


そういう自分がいるから
自分を守って 生きて来られたんだよ。


自分を殺して 周りに合わせることによって
人を受け入れずに ガードすることによって


嫌って言いたくっても 言わないでいることによって

自分で自分を守って生きて来たんだよ。


だからね 自分は何をやってもダメなんだって
自分で自分をダメな人にする必要は どこにもない。


全部 自分の一部なんだもの。
全部 いとおしい自分なんだもの。


あのね 自分のすべてを受け入れるってね


”そうか そういう自分の受け入れたくない部分も
生きるために必要な 大切な一部だったんだなぁ”



ってね 思えばいい 
受け入れればいい。


人間の本質は 本来 けなげなものだもの
犬とか猫とかのけなげさと 同じものなんだもの


自分を守るためには なんだってするんだよ。
命って 本質は けなげなんだよ。


誰の中にも 命の本質がある。
尊い命の本質が 自分の中にもある。


自分を守るために 自分を押し殺してきた って 
自分を守るために 人を受け入れないで来た だって


少しも悪いことじゃぁない
悪くなんかない。


いいだとか悪いだとかって 
判断する必要なんか ひとつもないんだよ。


そして そんな自分の一部を
そっと 認めてあげればいい


”あんたがいたから 私は生きてこられたんだねぇ”
ってね。


そうやって 自分を知るっていう事
そして 自分が受け入れたくない部分を


認めてあげることによって
人は 前に進めるものなんだねぇ。


いいだとか悪いだとか ってさ
何かと比較している事でしょう?


比較しなくてもいいんだよ
自分をダメな人にしなくてもいいんだよ


ね そのままの自分って そういうことでしょう?
どうか 世の中の


自分を承認できない たくさんの人たちが 
そのままの自分を受け入れることができますように・・・


心から 祈ります。
では 最後に


幼い魂や弱い動物たちが
痛めつけられない世の中になりますように・・・

弱いものを傷つけることで
自分を保たなければならない人間たちが

癒される世の中になりますように・・・

祈ります。

 
  


Posted by N子  at 11:47Comments(0)カウンセリング

2020年06月25日

自分にOK

自分の事 ”これでいいんだ” って思えるということは
大切なことなんだ って


誰だって 思っているものね。
自分って このままでOKなんだ って


思えばいい ってね。
だけど それが なかなかできない。


どうしても ”自分はダメなんだ” って
思ってしまう。


もうね 自分がOKだなんて思うことは
絶対無理 ってね。


でもさ どうしてそう思ってしまうのだろうか?


人ってね 生まれてきたときは
全員 OKなんでしょう?


OKだから この世に生まれてくるんでしょう?
OKだから 赤ん坊は全員愛くるしいわけでしょう?


じゃぁ どうして 歳を取るごとに
自分ってダメな人間なんだ って思うようになるんだろう?


そりゃぁ 全部が全部そうだってわけじゃないけど
自分にOKを出せない人が とっても多いんだよ


今の世の中。
そう思ってしまう原因ってさ たくさんあると思うんだ。


たとえば 自分と周りを比べてしまったりさ。
だって 今 情報の量が星の数ほどあるものね


しかも そういう情報って
「あんた」 と この情報を比べるように って 


送られてきているようなものでしょう?


知らないうちに そういう人とか物とかを
自分に関係することと 比べてしまうよね。


そうして 比べてみて
”これより自分の方が 少しはまし”


って思えれば ちょっと安心したり
だいぶ劣っている と思えば

”やっぱり自分って ダメだなぁ”
ってね 自分にダメ出ししてみたり


どうしたって 比べてしまうんだよ
自分には全く関係のない はるか遠い人やモノたちとさ。


その他にも 自分が持って生まれた個性
それと 育ってきた環境からのメッセージ


そういうことも 自分になかなかOKを出せない
原因にもなっているのだと思うんだ。


だからね 自分にOKを出すようにするには
そういう原因があるんだ っていうことを


ちゃんと自覚することが必要なんだよ。
なんだかわからないけど 自分ってダメなんだ


って考えるんじゃなくて
”あぁ 自分は周りと自分を比較してしまう癖があるなぁ”


とかね
”そうだなぁ 自分は親から


お前はダメだぁ お前はダメだぁ
って 言われてきたからなぁ”



とかって 自覚をすること
それってさ 自分を知るっていうことになるものねぇ。


そう 自分を知る っていうことが
とっても大切なんだよ。


なりたい自分になるには ね。


もちろん 自分にダメ出しする人ばかりが
この世にいるわけではないんだけれど


昔と比べると 今の時代は
自分を承認できない人が とっても多いんだよ。


自分を承認することによって・・
自分にOKを出すことによって・・


自己肯定感って あげることができるんだよ。
自分を肯定する感覚 自己肯定感


これをしっかり持っていることは
人生をたくましく生きていく 大きな力になるんだよ。


だけど その前に
今の自分でOK って思えることが必要なんだよね。


まぁ 誰が考えたって それって当然だけどね。
おっと 今日は ちょっと長くなりすぎてしまいました。


続きは改めて次回にしますね。
では 最後に


幼い魂や弱い動物たちが
痛めつけられない世の中になりますように・・・

弱いものを傷つけることで
自分を保たなければならない人間たちが

癒される世の中になりますように・・・

祈ります。

  


Posted by N子  at 14:00Comments(2)カウンセリング

2020年06月13日

自分を信じる

人ってね それぞれの人が持っているんです
その人だけの 「心の世界」 っていうものを ね。


その世界って 様々な要因によって出来上がってきている
それはそれは とっても奥深くて複雑な世界なんですね。
 

誰でも持っている その人だけの「心の世界」・・・
だからね  その世界って 


自分以外の他の人は 
だーれも 観ることも知ることもできないんです。


おおよその想像はつくかもしれないけれど
他人が全部を知ることは 不可能なんです。


したがって 心の世界を管理するのは
自分しかいない。


心の世界を探求できる人も 自分だけ。
まぁ そうは言っても その自分でさえ


すべてを把握するのは 無理な話でね
心の世界って 壮大であり奥深くもあるんですね。


誰の世界だって そう。
深淵で謎に包まれた部分が たくさんある。


だから 私の心をわかってほしい と
誰かに向かって思ったとしても それは無理なんですね。


すべてをわかってもらうなんて 不可能なことなんですから。
でも 人って思うんですよね


私のことすべてわかってもらいたい ってね。
だって 生きていくって心細いことが多いですから。


なのに 自分の心の世界は自分しかわからない・・・
なんか それって寂しいことのように思いますよね。


でも 人は誰もがそうなんですね。
それは自分だけに当てはまるのではなくて 


人間であれば全員
自分の心の世界は 自分だけしか知ることができない世界


なんです。
でもね 私は今回 箱庭の学びをすることによって


とっても素敵で とっても心強いことが分かったんです。
それはね


人間の無意識の世界のおおもとには
人類共通の 「集合的無意識」というものがあるのだそうで


人間の意識の底辺には 誰もが共通して持っている
イメージの世界が 存在しているのだそうです。


そう 人間って
しょせん 一人で生きているもの


だけど その奥底には
誰もがつながっている無意識の世界があるんです。


だから そこを信じてみる。
この世界を作っているのは 人間。


広い視点に立ってみて 
そこに存在している 人間を信じてみる。


そして 自分を信じる。
世界中の誰よりも 信じることができる人間って


それって 自分に他ならないものね。
自分を信じることができなくて 誰を信じるの?


自分の心の世界は 自分で育てていく。
誰の力も借りずに 自分が育てていく。


その決心がついたとき 人は自由になれるのです。
人は 自分に起こったことの責任を


すべて 自分が持つ覚悟ができたとき
本当の自由 というものを手に入れることができるのです。


自分の心の育て方は いくらでもあります。
調べれば 自分に合ったやり方が必ず見つかります。


自分に起こったことの責任を 自分が持つ
っていう 決心さえできれば・・    ね。


あなたは 信じるに値する人間なんです。
さあ 勇気を持って前を向いてください!

 

では 最後に

幼い魂や弱い動物たちが
痛めつけられない世の中になりますように・・・

弱いものを傷つけることで
自分を保たなければならない人間たちが

癒される世の中になりますように・・・

祈ります。

  


Posted by N子  at 14:25Comments(0)カウンセリング

2020年06月05日

きざし

「きざし」 って何の兆しかって言うとね
ほら・・・  あれの


この間 「断食のあと」 でお話した
腸の話の中に出て来た 「ベンさん」 のこと。










私は このたび  断食をしたことによって
たくさんのことがわかったんですね。



断食中にもかかわらず
腸がパンパンに張ってしまうことについて



これは普通じゃないぞ と思ったものだから
色々調べてみたって 前回お話しました。 



その中で 1冊の本に巡り合って
どうも 私に当てはまるなぁ と思う部分を見つけて



今 それを キッチリやっているところなのですが
それを始めてから 間もなく 「ベンさん」 が



大勢ではないですが 
毎日続けて 顔を見せてくれるようになったんです。



私は 今更ながら
情報を得られるという事の ありがたさを



しみじみ 実感しています。








さて 私が どういう事に取り組んでいるかというと
腸に良い と言われている食品の



全てではないけれど 摂取しない 
ということに 取り組んでいるところなんです。



食べてもよい食品と 食べてはいけない食品が
はっきり分けられていてね



いわゆる 発酵食品と言われるものの多くを
食べてはいけないって言うんです。



もちろん 大方の人の腸にとってはいい食品なんですね。
だけど そうではない人もいる っていうことなんです。



たとえばね 納豆 ヨーグルト 豆類 キノコ類・・
それに ニンニクと玉ねぎは絶対ダメなんですって。



もう 今まででは考えられないような
取り組みなんですね。



だって 発酵食品って 
腸にいい って言われていたでしょう?



それが 一部の人の腸のためには 
かえって 良くなかったなんて・・・



私にとって 青天のヘキレキとも言えることでした。
詳しいメカニズムは 



調べていただければ わかると思うのですが
なにしろ 猪突猛進のN子ですからね



本に書いてある通り 忠実に
食べてはいけない食品は 今のところ



極力 避けているのです。
大好きな 食後のパンも 



それから ラーメンもパスタもダメなんです。
小麦製品は 一切ダメっていうんですね。



生クリームもダメだから 
小麦製品であるケーキ類は



当然 食べられないってことなんです。








でも 何度も言うようですけれど
「猪突猛進のN子」 なものですからね



食べてはいけない食品を 3週間の間 
一切食べないで様子を見るという 言いつけを



今のところ 守っているんです。



でもね ビールと日本酒はOKなんですよ。
これって 私にとって大いなる救いです。



そして 何よりも ベンさんと親しくなってきている
つまり 少しずつ結果が出てきている ということ



これは 日を追うごとに ジワジワと
私の心を 前向きにしてくれている出来事です。



まぁ 今のところ お腹の張りは
さほど 変化してはいませんが



いつかきっと スッキリするのだと思っています。








おそらく 今の情報化社会の中で
そのことをご存じだった人も 



たくさんいらっしゃる かもしれません。 
でも 必要ないという人も 試していないという人も



いるのではないでしょうか?
私は とりあえず 自分の体で実践してみています。



だから 実体験をお伝えしたい
今 そういう気持ちでいっぱいなんです。



カウンセリングの場面では 
いささか 邪魔に感じることもありますけど



自分が納得するまでは とりあえずやり通す
という私の 猪突猛進のくせも



こういう場合には かえって
それが役に立っているのかもしれませんね。



腸の調子が戻ってくるとともに
明らかに 気力が湧き上がってきています。



人間の心もそうですけど 
体ってものも 不思議で奥深いものですねぇ。



ところで これについて調べるとすれば 
「FODMAP」 で検索するといいと思います。



本の題名は 
「自分で治す 過敏性腸症候群」 です。



それから そのほかに 今から半年くらい前から
時々 心臓がトキトキすることがあってね



何かなぁ?   って思っていたのですけどね
どうやら 塩分のとりすぎだったみたいなんです。



あれこれ調べているうちに そのことに気づいたんです。
何となく フッと頭をよぎっていはいたんですけどね



心臓に 負担がかかっていたって
理屈が わかったんです。



それからは 
塩分をたくさんとったと思った時は 水を飲む



と まぁ こういうわけでなんす。
では 最後に



幼い魂や弱い動物たちが
痛めつけられない世の中になりますように・・・



弱いものを傷つけることで
自分を保たなければならない人間たちが

癒される世の中になりますように・・・

祈ります。
  


Posted by N子  at 08:34Comments(0)健康

2020年05月30日

断食のあと

私の断食は 丸4日と2食の間 食を断つ
という結果に終わりました。


さて 体調はというと・・・
けっきょく よくわからないんです。


息子たちは 口をそろえて
「体が軽くなって 何もかも快調だよ」


「体だけではなく 頭もクリアになってきている」
「便の調子が かなり調子がいいよ」



というのですが 私の場合はどうもそうはいかないのです。
丸4日と2食も 食を断ったというのに


依然 だるさは抜けずに 動くのがおっくう
という状態だったのです。


最後の日は 梅流し という方法で
残っている便をきれいに出したはずでした。


たしかに 出たと思います。


ちょっと・・・
こんな 他人の便がどうしたこうした というお話では


最後まで付き合っちゃいられない というものでしょう?
ねぇ・・・


これは どうも お話を聞いていただくには
申し訳がない気がしてきましたよ。


今日のお話は 
無理して お付き合いしてくださらなくてもいいんです。


これは 私の整理として
ここに記しておく意味もあるのでね


いきさつを忘れないうちに 
お話しているわけでしてね


でも もしも同じような症状の人がいたとしたら
参考になるかもしれない・・・


そんな風にも思っているので あえてお話しますね。


普通 残っている便を出し切ると
身体がすっきりして 全体が軽くなるようなのです。


その後は しばらく快調が続くとの事。
私も それを 大いに期待して取り組みました。


しかしながら 梅流しで腸をきれいにしたはずなのに
スッキリは一時的なものでした。


間もなく それまでのような
かったるくて 眠くて 動くのが億劫・・


そんな状態に 戻ってしまったのです。
調べてみると それは好転反応という症状で


幾日かでなくなる という事なんですね。
だけど 私は 


それが 断食後も続いているわけですから・・・
しかも お腹がパンパンに膨れているんです。


このお腹 断食中も日が経つごとに
どんどん 膨らんできていたのです。


4日目の時には パンパンのふくらみが
胃の方まで突き上げてきて 苦しくなっていました。


もう これは どうにかしなくては・・・
と思って 断食をストップしたのです。


断食後の経過として よく聞く話では
お腹がスッキリして 気持ちが良い


という話ばかりでしたので 私には
何が何だかわからず とてもガッカリした結果でした。


そんな中でも 
パオをやりすぎて あごが外れてからずっと


顎関節が痛かったのですが 
その痛みが ほとんどなくなってしまいまして


やっぱり 息子が言っていたように
痛みがなくなるんだなぁ・・・



と 感心したりしていたのですけどねぇ。
それに 皮膚がすべすべになってきたりして・・・


密かに喜んでいたにもかかわらず 
まったく・・・


希望と期待を ムンムンと匂わせていたのにねぇ
その結果が 下っ腹のパンパンの張り だとは


ねぇ・・・


私は ガッカリと同時に
これは何とかしなくては という思いが


むくむくと 頭をもたげてきたんです。
だって この状態って 尋常ではないでしょう?


丸4日以上 何も食べていないのに
下っ腹が パンパンに出っ張っているなんて


どう考えても 普通ではない

私は あれこれ考えたり


瞑想しながら 自分の腸と対話したり
たくさんのことを やってみました。


そんな中
ネットで検索していたら 1冊の本と出合いましてね


興味を惹かれたので さっそく
電子本に取り入れて読んでみると どうも 

 
その本に書いてあることが 私に当てはまるんですね
そこで 今朝から 


本に書いてあることを 実行してみているんです。


そうしたら 昨日とは違ってやる気が満ちてきて 
今朝は 何年も気になっているのに


手を付けることができなかった 
キッチンの一部の掃除を 午前中に手を付けて 


きれいにできたのです。
思いもかけないことでした。


いつもなら 午後は一休みをしたいところなのに
このお話を ぜひ ここでお伝えしたくて


そのまま パソコンに向かっているのです。
私の場合は 断食を終了して終わり ではなくて


そこからが始まり のように思います。
自分がずっと抱えて来た 体の習性を


断食をしたことによって 初めて意識できた
という事なんだと思います。


そういえば・・・
というようなことに いくつも思いあたりました。


どんな本で どんな内容なのか ということについては
また 次回にお話ししたいと思います。


もしかしたら 私と同じような症状の人は
結構いらっしゃるかもしれません。


では 最後に

幼い魂や弱い動物たちが
痛めつけられない世の中になりますように・・・

弱いものを傷つけることで
自分を保たなければならない人間たちが
癒される世の中になりますように・・・

祈ります。
  


Posted by N子  at 15:41Comments(0)健康