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Posted by 株式会社 群馬webコミュニケーション at

2023年04月14日

あしたから始まります


人には必ず生まれてきた意味と この世での役割があると思います。
何の意味もなく役割も持たずに生まれてきている人は 一人もいないのだと思うのです。


どうもこんなふうな言い方をすると 敬遠されてしまうのかもしれませんが
私の役割は どんな状況になろうともこれを言い続けていくことなのだと思っています。








「あなたに贈る30日のメッセージ」でも伝え続けていますが 
物事を達成するためには「あきらめないこと」が大切です。


一人一人が自分が生まれてきた意味について 
自分の人生でやるべき使命について考えることはとっても重要な事だと思います。


私の発信力はかなり少なく限られているのですが あきらめずにやっていこうと思っています。
(先日も久々にインスタグラムに動画のお知らせを投稿するため試行錯誤したのですがとうとう投稿できませんでした)


動画の発信もその一環としてのことです。
「あなたに贈る30日のメッセージ」https://youtu.be/ujp0EhlOOCY


あした朝6:00から30日間の心の旅が始まります。
  

Posted by N子 at 16:17Comments(0)お知らせ

2023年04月11日

あなたに贈る30日のメッセージ

ずっとYouTubeの作成をしていたので ずいぶん時間が経ってしまいました。
その間 「ボクサー犬ジョー」の方に時々投稿していましたが 今日の話題はこちらにもお伝えしておきたいと思います。






何だか毎日やる気が起きなかったり 自分はダメだと考えてしまったりする人に向けて動画をお送りしてきました。
「生きづらい人」のシリーズでは 30分くらいの時間をとった動画でしたが今回は5~10分くらいの気軽に観てもらえる時間で作成してあります。


あなたのお役に立てたらうれしいです。

https://www.canva.com/design/DAE1Vd3_3ok/wx8670n76Pg8yA5FYSUC4Q/view?utm_content=DAE1Vd3_3ok&utm_campaign=designshare&utm_medium=link&utm_source=viewer


「あなたに贈る30日のメッセージ」


最後に  「すべての人が輝けますように・・・」
  

Posted by N子 at 11:22Comments(0)お知らせ

2022年12月01日

ボクサー犬ジョーに投稿しています

連絡が遅くなって申し訳ありません。
しばらく前から投稿先を変えました。

これからの内容は
虹の橋を渡ってからそろそろ12年が経とうとしている「ボクサー犬ジョー」に
再び語らせたいと思いましてね 

https://jyokaisou.gunmablog.net/
こちらの方に移動しました。




今 私は全国心理業連合会の
「プロフェッショナル心理カウンセラー」という資格を取り
活動を始めています。

心の事に触れたい方はぜひ覗いてみて下さいね。
お待ちしています!
  

Posted by N子 at 10:13Comments(0)お知らせ

2022年01月24日

ホームページ公開

オレ チコ
おふくろな とうとうホームページの公開にたどり着いた。







考えてみたら おふくろはすでに70歳を過ぎている。
還暦どころではない 「古希」と言われる年齢だものなぁ。

そのばあさんが 今からホームページを立ち上げて
新しく活動を始めるなんて・・・

そのエネルギーは どこから来ているのだろうなぁ?
おふくろは 90歳になっても

カウンセラーとして生きていることが 目標なんだって。
人間ってな 思いが人生を左右するんだ。

おふくろは そのことを信じてこれからも生きていく。
だから 応援してやってくれ 

なぁ。






なんだか 寂しいぞ。
だって ここでは どれほど支えてもらったかしれないもの。

ジョーの介護から始まって その後もずっと
おふくろの心のよりどころだった。

「ボクサー犬ジョー オレの語り」は 
いまだに 介護をしている人たちを励まし続けている。







「N子の部屋」だって おふくろの人生がつづられてきた。
だけど 今日で本当にお別れだ。

お名残り惜しいけれど いつかどこかで会えたらいいなぁ。
ホームページのリンクをここに載せておくぞ。

「のぶ子の部屋」

ここに訪れてくれた人たちへ
長い間 ありがとう ありがとう。


最後に 幼い魂や弱い動物たちが
痛めつけられない世の中になりますように・・・


弱いものを傷つけることで
自分を保たなければならない人間たちが

癒される世の中になりますように・・・
心から祈る。

  

Posted by N子 at 10:47Comments(0)挑戦

2021年12月25日

ホームページが完成したら

ホームページも もうあと少しで完成するところまで来た。
おふくろは かなりの時間と労力を費やしたんだなぁ。








内容を充実させるために コンサルタントの人の質問は
おふくろが頭を抱えるようなことが多かったんだ。

だから おふくろはずっと一途に考え続けてきた。
ホームページを作るということが これほど大変だとは

おふくろは 一切考えていなかった。
大変だった だけど楽しかったんだな。








それにな おふくろは
インターネットに自分の顔を載せる なんてことは

思ってもいなかったから
ホームページにも 自分の顔を載せないでもいいだろうか?

って コンサルタントの人に聞いてみた。
そうしたら 相談する人にとったら

相手の人がどんな人かわからないと 
なかなか相談する気にはならないから

できれば 顔写真を載せた方がいいですよ

と言われてなぁ

最初は 写真じゃなくキャラクターでもいいんじゃないかな?
って思っていたのだけれど

よーく考えて 結局 
自分の顔写真を載せることにしたんだな。




だから ここいらでオレの写真も載せておくぞ
だって 今まではむぎの写真だったんだもの


それから オレとむぎはおふくろの代弁猫として
それぞれの持ち場で おふくろを手助けするんだ。

オレは アメブロで
むぎは インスタで

おふくろの代弁猫になる。

コンサルタントの人の提案に おふくろが自分で考えて
方針を決めたんだ。

だから このグンブロは
このあとの ホームページの案内を最後に

さよならするんだ。
寂しい気もするけれど 何か新しいことに向かう時には

別れはつきものだもの。
なぁ。


最後に 幼い魂や弱い動物たちが
痛めつけられない世の中になりますように・・・


弱いものを傷つけることで
自分を保たなければならない人間たちが

癒される世の中になりますように・・・
心から祈る。
  

Posted by N子 at 23:45Comments(2)挑戦

2021年12月15日

オレ チコ

オレ チコ。
オレ おふくろの代弁役を復活する。

あのな おやじとおふくろ 
またオレの仲間と暮らすことになった。

「むぎ」という名前の猫とな。




これは 最近の画像でな
だいぶ リラックスしているなぁ。




おやじの希望で 近所の家から連れてきたんだ。
やつが この家になじむまではちょっと大変だったけれど

2週間がたった今は やつもだいぶなじんできてな
オレもおやじもおふくろも 一安心なんだな。

二人に再び 猫との生活が訪れた。 
この家に再び 新しい家族とのやさしい日々がはじまった。









ところで むぎのやつ オレと同じで
おふくろの膝の上には行くけれど

おやじのところへは いかないんだなぁ。
おふくろより おやじの方の希望で連れてきたのになぁ。








だけど おふくろのホームページに
オレとむぎが 一役かうことになりそうなんだ。

おふくろの頭の中には 一つの構想がある。
いずれ 報告することになると思うんだ。

とりあえず今日は むぎを迎えたことの報告なんだな。


最後に 幼い魂や弱い動物たちが
痛めつけられない世の中になりますように・・・

弱いものを傷つけることで
自分を保たなければならない人間たちが

癒される世の中になりますように・・・
心から祈る。
  

Posted by N子 at 20:51Comments(2)むぎちゃんだよ!

2021年11月10日

ホームページの作成

ご無沙汰しております。
まったく・・・ 9か月もここにきていなかったのね。







私 その間ずっと 様々な講座を受けたりしながら
カウンセラーとしての先行きを 模索していたの。


また 家業では 夫が社長を退いてね
それを息子が引き継いだので 色々とフォローもしたりね


なんだか 一段と気ぜわしさが襲ってきていて
なかなか ここでのお付き合いができなくなっていたのね。


そんな中でも 実際に SNSカウンセリングや
対面のカウンセリングも少しずつ始めていたよ。


自分がカウンセラーとして どう進んでいくのか
そのことも ずっと考えていた。


今はね SNSカウンセリングが
世の中に とても必要とされていてね


私も その勉強をして 資格も取ったのね。
そして 何度か挑戦してみたの。








だけど 私は 
対面カウンセリングと講師をやっていきたい


結局ね そんなふうに結論を出したのね。
そのうえで ホームページを作ることにしたんだよ。


私が住んでいるところは 田舎でね
来てくれる人も 限られてしまうと思うのね


ちょっと離れたところに 部屋を借りて
そこをサロンにしようかなぁ なんて考えてみたのだけど


まだまだ 始めたばかりのところで収入がないからね
部屋を借りるだけの 資金もなくなってきているのね。


だから 一生懸命考えたの
リモートでカウンセリングをしてみよう って。


そのために ホームページを作るの。
部屋を借りるつもりだったのだから


その分を ホームページを作る費用に回した方が
安上りだってね。


幸い そんな私の要望にピッタリの
素敵なコンサルタントさんとの出会いにも恵まれて


もう その方向でいこう って決めたのね。







心を込めて 一生懸命カウンセリングをしているうちに
サロンを作る費用ができれば


それから 素敵なサロンを創ればいいんだもの。
それまでは ここまで来てくれるクライアントさんと


リモートでご縁のあったクライアントさんを対象に
カウンセリングをしていこう って決めたの。


ホームページは まだ作り始めたばかりだから
完成は しばらく後になるけれど


出来上がったら ここに来てくれる大切な人たちにも 
ホームページの住所を お知らせしたいと思っているの。







私 先週 満70歳になったよ。
そこから 新しい活動を始めるんだよ


考えてみたら すごいよね この歳でさ
でも やるよ






今 必要としている人たちの 心に届く
力強いカウンセリングができるように 頑張るから


ここに来てくれるみんな! 
応援してね。


最後に 幼い魂や弱い動物たちが
痛めつけられない世の中になりますように・・・


弱いものを傷つけることで
自分を保たなければならない人間たちが

癒される世の中になりますように・・・
祈ります。






  

Posted by N子 at 14:51Comments(0)挑戦

2021年02月09日

続・右脳と左脳

前回 瞑想によって
その当時の私の 


左脳の働きが弱いことに気づいた
というお話をしたのだけれど


今回は 久しぶりの瞑想によって 
”右脳の働きがどうも弱いなぁ”


という感じがしたのでね
そのことについて 話してみようと思っています。


今回 3年ぶりに瞑想をしてみたとき


”あれ? 右側が弱いかも?”
ってね 感じたのね。


脳に意識を向けたとき
なんか わかる気がする。


3年間 瞑想をしなかったけど
再開してみたら 初めてのころの感覚には戻らなかった


それからね 
どうして右側の働きが弱い感じになっているのか


ちょっと考えたら すぐわかったよ。


あのね ずーっと
カウンセリングの勉強に気持ちを向けていたから


机に向かってじゃなくて 声を聞きながらね。
私は 朗読のボランティアをしているでしょ


だから 本や資料を自分で読んで
カードに録音して 


それを 家のことをしながらひたすら聞く・・・
来る日も来る日も 繰り返し聞いていたのね。


ながら勉強・・ かな?
もうね 記憶力が衰えてきているからね


これが一番 効率がいいよ。
何かしながら聞けるもの。


それに 繰り返し聞いていれば
いくらかは 頭の中に入るからね。


だけど この事って
記憶すること 思考することなんだよね。


つまり 左側の脳がずっと働いている
っていうこと。


おまけに 夜になると
数独 (ナンプレともいう) これも


クルクルと 頭を働かせる作業でさ
数字と思考の連続だもの


左脳の働きが フル回転しているのだと思うのね。
どうしてこうも 夢中になって数独をするのかっていうと

どうもこれが 私のストレス解消法みたいなの。
数独をやり始めると 他のことは一切考えないもの。


あとね 70歳に近い年齢になると
確実に頭の回転が鈍くなってくるでしょ?


これから 新しい仕事に挑戦するっていうのにさ
これ以上 脳の働きが衰えてしまったら困るもの。


だから せめてね
今の状態を維持できるように・・・


っていう気持ちが強いんだ。
でもさ それにしてもさ


そんな毎日が ずっと続いていたんだもの
感情が あまり使われていなかったんだもの


”そりゃぁ 右側が弱く感じるのも
当たり前のことだったなぁ” 



ってね すぐに思い当たったの。
だから そのあとすぐに


音楽を聴こうと思って CDを探したよ。
しばらくぶりに CDの入れ物を眺めて


宗次郎の オカリナの曲を聴くことにしてね
セットしたの。


一番初めの音が鳴りだしたとき
むせかえるように 泣けてきた。 


ほんとに 一瞬のことだったの。
”なに これ?”


私は すぐに察知したのね。
というより ”もしかしたら切なくなるかもしれない”


って はじめから思っていたの。
どうしてかっていうとね


このCDは ジョーが寝たきりになっていた時
いつもかけていた曲だったの。









切なく いとおしく 悲しく・・・
弱っていく大切な存在を お世話して 


見守った経験がある人なら きっとピンとくる
あの 諸々がまじりあった感情が


一瞬のうちに よみがえった・・・
”やだ・・ なにこれ?”


私は そう言いながら泣き続けたのね。
ジョーのやせ細った腰や足が 


おむつを替えるときの やわらかい皮膚の感触が
すっかりエネルギーが衰えてしまった まなざしが








鮮やかに よみがえったの。
すごいよね 音楽の力って。


見ることによって 聞くことによって
かぐことによって 味わうことによって


そして 触れることによって
感情は 呼び覚まされる。


五感とイメージはつながっているの。
五感でとらえることって 思い出や


それにともなった感情を よみがえらせることは
よくあることだよね。


だから 芸術なんかは
右脳の働きを活発にしてくれる。


見て 聴いて かいで 味わって 触れて・・・
感じるの。


考えるのではなくて 感じる。
とっても大切なことなんだ って


私は 今回 再び
そのことを 再確認したの。


何かに気づくっていうことは
人生のだいご味かもしれないね。







では これで
右脳と左脳のお話は 終わりにします。


最後に

幼い魂や弱い動物たちが
痛めつけられない世の中になりますように・・・

弱いものを傷つけることで
自分を保たなければならない人間たちが

癒される世の中になりますように・・・

祈ります。
  

Posted by N子 at 15:01Comments(6)挑戦

2021年01月24日

右脳と左脳

箱庭のトレーニングが終了してから
私の人生は 再び動こうとしているんです。


カウンセラーとして プロの道を進むことに決めたから。
っていうのはね 困った時相談できる団体に加入した


ということなの。
私 まだまだ新米だから


たくさんの新しい経験が待っている。
きっと 新しい疑問や困ったことが起こると思うの。


そんな時 遠慮なく相談できる場所がある
ということは 心強いことだものね


それに クライアントにとっても
できる限りの対応をして差し上げられる


っていうことになる。


それからね
今の時代 リモートでのカウンセリングが


必須になってきているでしょ?
っていうことは 


どれだけ距離が離れていても
カウンセリングができる っていうことになるのね。


今のところは 
SNSでのカウンセリングが求められていて


とりあえずは 
私も そちらでやってみるつもりでいるのだけど


時期が来たら リモートで
遠くにいる人たちとつながって


辛い心と体が 少しでも健やかになるように
あるいは 単に心を整理したい なんていう人を


応援していきたいと 思っているの。
それは 私が 本当にやりたいことの気がする。


ところで 私は
最近 瞑想を再開したのね。


自分の行く道を 
できるだけ スムーズに歩けるようにってね。


今考えるとね 大風邪を引いた今から3年前
鼻が匂わなくなったきっかけになった あの風邪から


瞑想をしなくなっていたんだよ。
だから 瞑想は3年ぶりになるんだね。


やり始めのころは 
何が何だかわからない状態 だったのだけれど


そのうちね 自分の全体が見渡せる感じになってきて
左側が 詰まっている感じがわかってきたのね。


特に 目頭から鼻の中が・・
それに 左側の向きの感覚がわからない感じ。


言葉で言っても 伝わりずらいとは思うのだけれど
私は その感覚が


左脳の問題なのかも?
って思ったのね。


要するに 理論とか現実とか計算とか
という 思考に関する脳の働きが弱い・・・


感情や直感なんかの働きに比べて ね。
実際 私は どんな時でも


感情の方が優先していたように 思うのね。
瞑想を続けながら 私はそのことに気づいたの。


でも どうしたらよいかわからなかった。
そうするとね それから間もなくの瞑想中 


あれ? って思ったの
今 左側の詰まりが軽くなっている?


ってね。
その時 明らかに 


左側の鼻の 詰まりが取れた気がしたんだよ。
それが 一番最初に 


私が 瞑想の効果を実感として感じた
出来事だったと思うの。


このことは 私が
右脳と左脳 ということを意識するようになった


大きなきっかけになった気がするんだよ。
それとともに 右脳と左脳のバランスがとれた状態が


いかに大切な事か ということが
心の勉強をする中で わかってきたの。


PTSDの軽減に関しても かなり重要な意味がある
ということは 本にも書いてあったし


私の親しい人の 実体験からも
推し量ることができたのね。


人の心も体も 
脳の働きと密接に関係している。


だから 脳の特性が 
カウンセリングには とっても重要になってくる。


心理学と脳の特性 両方とも
人の心と体に 深く関係しているんだね。


様々な学びの中から わかったこと
そして 自分でも体験したこと


年齢を重ねても 新しいことに触れるということは
幸福なことで エキサイティングなことだなぁ



なんてね 今 考えているところ。


そして 最近 私は 
今度は 右脳の働きが少し鈍っているなぁ


って 感じたの。
瞑想を再開したことによって ね。



そのことについては 次回
またお話します。


では 最後に

幼い魂や弱い動物たちが
痛めつけられない世の中になりますように・・・

弱いものを傷つけることで
自分を保たなければならない人間たちが

癒される世の中になりますように・・・

祈ります。

  

Posted by N子 at 15:57Comments(0)挑戦

2020年11月28日

トレーニングの終了

今月 11月1日 日曜日
8か月間にわたって続いた 


箱庭のトレーニングが 終了しました。


(始まりは夫の手作りの箱庭からでした)



これは 「カフェセラピストトレーニング」 といって


箱庭 アート コラージュ という
手段を使って行う セラピーの講座でした。


初めはまったく興味がなくて
この講座を受けるつもりはなかったけれど


ともに学んでいる 同じ年代の友人が受けるというので
私も 負けじと 申し込んだのでした。


毎回課題が出て 十数人の受講仲間はみな
私も含めて 四苦八苦したものです。


その課題すべてが 自分を知るためのものでした。
自分について 深く探求する・・・


主に 箱庭セラピーを習得するための
学びではありましたが


そこには 簡単なようで 
恐ろしくやっかいな作業を通らなければ


たどり着けない 「自己探求」 という
1本の道がありました。


「自分を知るということは 強さにつながっています」
とても心に響いた 先生の言葉です。


”強い ということは 自分を知っているということ”
私は このトレーニングを通して


今まで 何となく知っていた自分を
より はっきりとさせることができたように思います。


はじめは たった一つのキャラクターを使って






様々な 心の投影について学び


次第に 箱庭やアート コラージュに表される
人間の 奥深く豊かな心の世界に


触れることができました。







トレーニングの一環で 身近な人たちに
箱庭を体験してもらっているうちに


箱庭の世界に表現される物語が
その人の心を表していることに たびたび気づかされ


大きな感動と驚きを受け取ったものです。
受講仲間 皆が 同じ感想を言っていました。


この経験は 私の人生に大きな影響を与えてくれたと
心から 感じています。


私の場合 まだまだ 技術的には未熟であり
自己探求だって 大したことないのだとは思いますが


でもね


”自分のことを知らないのに 
人のことを知ろうなんて おこがましいよ”



よく考えてみたら そういうことなんですねぇ。
では 最後に


幼い魂や弱い動物たちが
痛めつけられない世の中になりますように・・・

弱いものを傷つけることで
自分を保たなければならない人間たちが

癒される世の中になりますように・・・

祈ります。

  

Posted by N子 at 09:29Comments(0)箱庭

2020年11月24日

チコを思い出す

私は今でも 時折 
チコのことを思い出します。


ゴミ出しに行くたび







”この 草むらの中のどこかに
チコは 眠っているのだろうなぁ”



ってね 思いをはせるの。


先日はね 娘と孫2人とトイプードル1匹とが
本当に久しぶりに 我が家に来たの。


しばらく会わない間に 二人の女の子たちは
目に見えて成長していた。


トイプードルの らん は これまでは
我が家に到着してから しばらくは慣れない態度で


私たちに吠えたりして 落ち着かなかったのだけど
今回は すっかり自分の家のように


すんなりと 我が家の一員として
溶け込んでくれたのね。






私は あっと思いついて らんのために
チコが使ったドームと ベッドを出してきてみたの。


最初は 何となく警戒していたのだけど
そのうち ちゃんと入ってくれた。









孫のうながしが 功を奏したというのもあるけどね
どっちにも 入ってくれたの。







どちらかというと このドームが気に入ったみたい。
私は もう 当然のことのように


チコのことを思い出したの。
体格は チコの方が大きかったみたい。





でも ちょこっと顔を出している様子が愛らしく 
らんのことを チコの姿と重ねてみてしまったの。


奥行きがあって 出口が隠れるから


落ち着く場所だったんだろうなぁ。
らんも そんな気持ちになっていたのだと思うよ。


2泊3日は あっという間に過ぎてしまってね
お名残り惜しいけど 3人と1匹は


自分の家に 帰っていったの。
それでは きょうはこれで・・・

幼い魂や弱い動物たちが
痛めつけられない世の中になりますように・・・

弱いものを傷つけることで
自分を保たなければならない人間たちが

癒される世の中になりますように・・・

祈ります。



  

Posted by N子 at 14:59Comments(0)じわっ

2020年10月04日

チコのこと

チコのこと ここでお話しし始めて
間もなく お話をやめてしまっていました。


アメブロの方へ 移行してしまったから。
あのころは 私の心がいそがしく


グンブロとアメブロ 両方にお話をする余裕が
なくなってきていたのです。


チコは昨年2月に おそらく死んでしまったと思われます。


というのは 私たちはチコの亡骸を
確認していないのです。


その時の様子を 今日 ここで
グンブロの皆さんにも 聞いていただきたいと思います。


私にとって 今 読み返しても
辛く苦しく だけど 心揺さぶられるお話なんです。



・悲しい場面・


チコは 何か良くないものを口にした・・・
私たちは そんなふうに考えてしまっていたのですが



先日 夫が どこからか聞いてきました。
近親交配を繰り返して生まれた子は 寿命が短い



という話。
チコは まさに そういう子でした。









私たちは その話を受け入れることにしました。
それが どうも 一番しっくりくるし



私たちの心が 少しは楽になるのです。
私たちには 到底及ぶことができない 



自然の摂理によるものだった という理屈が
心を ちょっとだけ 軽くしてくれます。



ただ そんな子たちがたくさんいる と考えると
何とも言えない切なさが こみ上げてきます。










さて ここに来てくださる人たちの 言葉による励ましや
言葉には出さないけれど 心での応援をいただき



また 私の周りの人たちにも 
たくさん寄り添っていただいたおかげで



私が ずっと抱えて来た 胸のつかえを取り払うために
今日 ここで 悲しい場面をお話する準備が整いました。



チコは 昼間はほとんど外で過ごしていましたが
夜は 必ず戻ってきて 私の隣で寝てくれました。



私が沖縄から帰った日は 夜遅かったにもかかわらず
ドームの中で待っていてくれて 



寝る時には 一緒に 2階へ上がってくれました。






これは まだ 元気な時のチコ 活き活きした顔です。



次の日は 必ず食べていた朝ごはんを食べずに
外に出かけて行きました。 


この頃から ”あれ? おかしいなぁ”
と 今までより少し心配になってきていました。 



そして 夜になって 帰ってきましたが
台所にいる私を 夫が 呼びました。



「おーい チコがびっしょりになって来たぞ」
その晩は 雨が降っていたのです。



私は あわてて バスタオルをもって行って
チコを包みました。



「あぁあ こんなに濡れちゃって」
「チコちゃん さむいさむい・・」





チコは 外から帰ってくると 
いつも まっすぐにご飯の所に向かうのに




その日は そのまま ストーブの前に横になったのです。
それからしばらくしたら 



夫がチコに 優しく話しかけている声が聞こえます。
普段 自分から夫の所に行ったことのないチコが



夫の股の間からあがり 腹の上に仰向けになったのです。
そして しばらくその状態で 


夫に腹をなでてもらっていました。



「めずらしいなぁ チコが自分からオレの所に来たぞ」
夫は とてもうれしそうでした。



しかし そのあと チコが
白い泡のようなものを 口から出しました。




「悪いものを出してしまえば 楽になるよ」
その時の私は 本気でそう考えていたのです。



でも それからは 歩くのもおぼつかないようになってきて
私は しばらく こたつでチコを抱っこしていました。









これは そのときのチコです。
今 はじめて ジックリ見ました。



今まで 見ることができませんでしたので。
この時の チコは 辛かったのでしょうねぇ。


それから 2階の私のベッドには 
私が抱いて連れて行きました。

 

いつものように 私の頭のすぐ横に横たわらせて
眠りに着こうとしたのですが



チコは 人形のように横たわったまま
私のそばに すり寄っては来ませんでした。



途中 2~3回 自力で階段を下りて水の所に来ました。
水を飲みたかったのでしょうか?



しかし 水の入れ物の所にペッタリと腹をついたまま
じっとしているだけなのでした。



私が 指で水を口元に持っていっても 口を開けないで 
しばらくしてから ようやく



口の周りを 舌でペロペロするくらいでした。



再び2階まで抱いて行き 私の布団に寝かせる
ということを繰り返しました。



朝は 私が抱いて下まで連れてきました。
もう すっかり軽くなって 


本当に人形を抱いているようでした。
ストーブの前の座布団の上に横たわらせて



私は 朝の支度にとりかかるため 台所へ行きました。



間もなく 夫の声が聞こえます。
「チコちゃん 今 外へ行くと 帰ってこられなくなっちゃうよ」



私は ハッとして 夫のいる方に目を向けました。
すると チコが サッシのそばに座って 



夫を見上げて 訴えているのです。
”サッシをあけてくれ” と いつものように 。



朝は ほとんど歩けない状態だったのに
どうやって そこまで行ったのでしょうか・・・



夫は しばらく そのままでチコを見つめていました。
私も だまって 夫とチコを見守っていました。



しかし 夫は 決断したのです。
サッシを開けました。



すると チコは よろよろしながら
一段下の 腰掛けイスの上に飛び降り 



そのまま 地面におりました。
私は すぐに チコを追って 玄関を降り庭に出ました。



チコは 庭にいて うずくまっていました。
私は 抱いて連れ戻したい衝動にかられました。



でも よく見ると 
庭にたまった雨水を 自分から飲んでいたのでした。



私は 家に戻って 夫に報告しました。
「お父さん チコが雨水を飲んでいる!」



「そうなん? そうすると 自力で回復させて
また 戻ってくるかもしれない」




私は 水を飲んでいる後ろ姿をカメラに収めようと
急いでスマホを取り 再び外に出ました。



すると もう さっきの所にチコはいませんでした。
私はあせって キョロキョロと周りを見回しました。



すると 階段のほうに向かう坂道を
ゆっくり歩いている チコの後ろ姿が見えました。









「チコちゃん どこへ行くん?」
「お母さんと おうちへ帰ろう!」




その時 チコが振り向きました。
私は あわててシャッターを切ったのですが 









写っているのは チコの横顔だったです。
この写真も ずっと 見ることができなかったので



チコの顔が もうちょっと 
ハッキリと映っていると思っていました。



「一緒に おうちへ帰ろう」



という 私の言葉に反応せずに
チコは ゆっくりと下へ降りて行きました。









私は 連れ戻すこともできずに ただじっと
チコが見えなくなるのを見送りました。



チコの後ろ姿は 弱弱しく見えました。
しかし 体全体で 還るべきところへ向かっている



というオーラを 放っていました。
家の中にいるときは 足がフラフラとよろけていたのに



その時のチコは ゆっくりではあったけれど 
一歩一歩しっかりと 坂道を 下りて行ったのです。



私には チコが自分の行先を 
はっきりと感じていたように 思えるのです。



その時の私の心は 今までの私の人生の中で



どこをどう探してみても 見当たらないような
万感の思いであったと思います。



あの 小さな後ろ姿は 命が持つ
全ての要素を 見せてくれていたと思います。 



今思い出しても チコの様子は
誰にも邪魔することができないような



荘厳さと 揺るぎない覚悟が 
満ち溢れていたように思います。



私は もう たまらずに 家に駆け込みました。
夫が すかさず



「どうした!?」
と聞きました。



「行っちゃったー」
私は べそをかきながら 夫に伝えたのでした。



夫は それを聞いて グッとこらえた表情をしました。
共に 悲しみを分かち合った瞬間でした。



その日 私は ゴミを出しに行きました。
チコは ゴミステーションのあたりによくいたらしいです。



ゴミを出していると ミャ~ という
チコにそっくりの 鳴き声が聞こえてきました。



「あれ? チコちゃん いるの?」
あわてて 声の方を見てみると









違う子が 鳴いていたのでした。
そこは 枯葉が積み重なっていて 





猫たちが 自分たちの居場所を作っていた 
ということが その時初めてわかったのでした。









「チコちゃん! チコちゃん!」
私は その 草の中に向かって呼び続けました。


でも そのうち 悲しくなってきて 泣き声になってしまいました。
朝からの 辛い時間でした。



あとから思い返しますと チコは
あの雨の中 びしょ濡れになって



私たちに お別れをしに来てくれたのです。
普段 自分からめったに行くことがないのに



夫の所にいって 腹をなでてもらい
言葉をかけてもらって 



私と 最後に寝てくれました。
どう考えても これは



お別れに来てくれたに 違いありませんよね。



あぁ やっと これで 
悲しい場面の すべてをお話することができました。



私たちが チコを自然の中に還してあげるため
あえて 病院へ連れて行かずに見送ったこと



だからこそ背負うことになった 諸々の感情
それらを 皆さんに理解していただくためには



やはり 前回の 意見の相違のお話は
なくてはならないものだった と思います。 



この時のことをお話しながら 途中 何度も
悲しみと切なさがこみあげてきて 



話を中断せざるを得ませんでした。



でも ここまでお話したことによって 私の心が
確かに 軽くなっています。



不思議です。
単純だ と笑う方もいらっしゃるかもしれません。



でも 私は うつや自律神経失調症を経験したあげく
自分を単純にするための 努力を続けてきました。



単純で 素直
このことは 人間が 豊かに生きるための



必須アイテムなのだと思います。









「自分から水を飲んだのだから また帰ってくるかもしれない・・」
その言葉に希望をつないて 今日まで来ましたが



チコは20日に出て行きましたので 
いなくなってから今日で9日目になります。



もう どこかで死んでしまっている 
ということを しっかりと 



受け入れなければならない時なのかもしれません。
今日は ずっと抱えていた 



胸のつかえが 下りた気がします。
長い話に 最後までお付き合いいただき



本当にありがとうございました。


私の人生の中でなかでも 
大きな悲しみと感動を受け取ることになった

宝物ともいえるお話を 
今日は 再び グンブロの皆さんに 


聞いていただくことができました。


自分の中にある 大切なお話を
誰かに聞いていただくということは


そのことが浄化され 解放されていく・・・
そのことを通して 自分の心が


より豊かに すがすがしくなるのだと
幾たびか経験してみて しみじみそう思います。




最後に 幼い魂や弱い動物たちが
痛めつけられない世の中になりますように・・・


弱いものを傷つけることで 自分を保たなければならない
人間たちの心が 癒される世の中になりますように・・・


心から 祈る。
  

Posted by N子 at 11:29Comments(2)感動

2020年09月29日

誕生

このたび 私に
8人目の孫が 誕生しました。


この子





2850gだったかな?
小さく産まれました。


そして この子の両親は
4人の男子の 父と母になったのです。






「ようこそ!」
ありがたいことだよね。


誕生からその後 およそ3週間にわたって
赤ん坊を含め 家族のお世話を


夫にも 手伝ってはもらったけれど
ほとんどを 我が家で 私が一手にお世話をしたの。


まったく 怒涛のような日々だった・・・
今 やっとここで報告できる状況になった


って 今そういうところなの。
今日は その報告だけしておきますね。


では 最後に


幼い魂や弱い動物たちが
痛めつけられない世の中になりますように・・・

弱いものを傷つけることで
自分を保たなければならない人間たちが

癒される世の中になりますように・・・

祈ります。

  
タグ :8人男4人

Posted by N子 at 13:13Comments(2)家族のこと

2020年09月06日

続・断食のあと

調べてみたら N子 5月22日からの
5日間 断食をしたのね。


とすると あれからもう
3か月半 たっているという事。









まったく 時間の過ぎるのが 早いこと早いこと。
ねぇ 年齢を重ねれば重ねるほど


時間の流れが速くなる っていうよね。
まったくもって その通り!


って 言いたいねぇ。
5日間 食べないでいたにも関わらす 


私のお腹は はちきれそうにパンパンだった。
これは尋常じゃない って思ってね


色々調べたの。
そうしたら 全ての人に当てはまるわけじゃないけど


お腹が張ったり 便秘になったり 下痢になったり
っていう 過敏性大腸炎 を引き起こす


食べ物がある っていうことで
私はその食材を しばらくの間食べなかったのね。


そのあと しだいに ベンさんが顔を出すようになってきて
やっぱり 今まで食べていた食材に原因があったのか・・


って 思ったんだよ。
それから 一つずつ 食材を食べてみて試していったの。


そうしたら どうも 小麦製品はダメみたい。
大好きだった パンやソウメン 


パスタもラーメンも 焼きそばも 
もう 色々なものに小麦が使われていてね


自分が いかにたくさんの 
小麦製品をとっていたかがわかったんだ。


”あぁ 私は 小麦製品が大好きだったんだなぁ” 
って思ったよ。


だけど 小麦を大量にとると 必ずベンさんが来なくなる
それがわかったからには


やっぱり 食べないで様子を見なければ って思った。
なんたって 猪突猛進のN子だからね


そこは 徹底して 小麦をとらない生活を続けたのね。
3週間続ければ ほとんどの人が腸の調子がよくなる


って書いてあったけど
私の場合は おそらく 2か月くらいは続けたと思う。


だって ほら 猪突猛進のN子 だからさ
馬鹿みたいに やっちゃうんだよ。


この症状って 初めからそうだったわけではなくてね
何かの加減で そういうことになるそうで


逆に これから 症状が改善することもあるのだとか
身体の状態によって 変化するっていうことだね。


すごいね 食べ物と体って つながっている!


その他に 思いもかけないものがダメだったんだよ。
もう5~6年飲んでいた 液体の野草酵素


実は 断食中も これだけは飲み続けていたのね。
とっても信頼していたサプリだったからさ。


だけど 断食中にも飲んでいたことから 
ひょっとしたら・・・ って思ってね


試しにやめてみたら どうも 調子がいい気がしてね 
やめることにしたんだよ。


そうしたら さらに頻繁に 
ベンさんが 顔を出すようになったの。


”あららぁ・・ なんということかぁ・・” って思ったよ。
一番 信頼していたサプリだったんだものねぇ。


ところが ある時テレビで 
発酵食品がいい ってやっていたのを見て


そうだ! って思いついて バカだねぇ
再び 酵素ドリンクを飲んだんだよ。


2日間飲んだだけなのに お腹がね
張り裂けそうなくらい パンパンになってしまったの。


そこで 私は ハッとしたんだよ。
やだ やっぱりこの酵素だったんだなぁ ってね。


これだって 色々試してみたからわかったことだよ。
まさか 5~6年間信頼していたものが


腸の張りの原因だったなんて ショッキングだったねぇ。
そのもの自体は 決して悪いものではない


明らかに 肌の具合もよくなったり
いいところも たくさんあったもの。


だけど あれほどお腹がパンパンになるとなったら
こりゃぁ やめるしかない ってね。


それから 小麦と酵素ドリンクを
なるべくとらない生活を 続けているの。


あ それから乳製品もだった。
牛乳の代わりには アーモンドミルク


そして 酵素ドリンクの代わりには
手作りの甘酒を飲むようになったの。





(甘酒ね 意外と簡単に作れたよ 
それに酵素ドリンクに負けないくらいの良い影響があるの!)



そこはほら 猪突猛進のN子だからね 
突進し続けているの。


自分の体と トコトン向き合って
身体が発信しているサインをキャッチして


「これは ダメだよ」 ってサインが出たものは
極力避けることで 体をいい状態に持っていく。


まったく 自分は完璧 って思っていても
よーく見てみると 体が「ダメだよ」って言っていることを


やっているものなんだなぁ ってね
つくづく思ったよ。



だからって みんなで食事をするときなんかに
「私は これは食べません」 って言うと


その場の雰囲気を 壊してしまうこともあるものね
だから 時と場合によってはおいしく食べるんだよ。


パスタだってラーメンだって さ。  
それに 暑いときは ソウメンも少しだけ食べるよ。


自分が承知していれば ベンさんがそっけなくても
あぁ そうだよな だからベンさんがご無沙汰なんだよな


って 訳が分かるからね。
結局 心も体も 自分が把握している 


っていうことが 大切なんだと思うの。
承知しているうえで行動する っていうこと


たとえ うまくいかないことでも
あぁ そうだよな うまくいかなくても当然だよな


ってさ 自覚できるっていうことだもの。
自分で 自分を承知しているうえでの結果だとしたら


訳がわかっているから 不安もない
それに また 元に戻せるもの。


ね そうでしょ?
だからね やっぱり 


自分を知るっていうことが とっても大切なんだねぇ。
それでは 最後に

幼い魂や弱い動物たちが
痛めつけられない世の中になりますように・・・

弱いものを傷つけることで
自分を保たなければならない人間たちが

癒される世の中になりますように・・・

祈ります。







  

Posted by N子 at 10:24Comments(0)健康

2020年08月29日

あともう少し!

今さ 日本中の人たちが
この暑さに耐えているんだよね。







「もう 勘弁してくれよ」 って思いながらさ。
体温を上回る気温だもの 体がついていけないよね。


N子が住んでいる場所も 群馬県の田舎だけれど
暑いんだよ とっても。


毎日毎日 容赦なく気温が上がって
息つく暇もないくらいの 暑さ攻撃を受けている。


嫌だねぇ。


中には そんな暑さとは無関係の境遇の人も
いるには いるんだろうけど


今 かなり多くの人が 
この 尋常ではない暑さを耐えているんだよねぇ。


まったく そのことだけを考えると
本当に 辛くなるねぇ。


暑さだけではなくて どんなことでも
いつまで続くのか 終わりがわからないことって


辛いよね。
だけど この暑さは必ずおさまる。


あともう少しで 必ず涼しくなる。
ね あともう少しの辛抱だよ。


そして 暑さに耐えている人は
自分ひとりじゃないよ。


日本中の大勢の人たちが 耐えている。
わかってるよ 大勢の人たちが


精いっぱい この暑さと戦ってきたってこと。
ほとんどの人が 思っていないかもしれないけど


いくら おてんとう様にはあらがえないとは言え
人々が いやおうなしに試練を耐えているっていう


この状況は 過酷だよ。
「こんな状況 ごめんだね」 って言って


逃げ出すことができる人なんて 今の世の中じゃ
ほとんどいないでしょう?


だからね みんなみんな 頑張っているんだよ。
すごいんだよ。


疲れたねぇ 逃げたいねぇ・・・  
でも もうあとひと息だよ。


あともう少しで 秋の風が吹いてくるよ。
ね この状況はいつまでも続かないんだよ。


だから みんなで 頑張ろう?
ね 頑張ろうね。 


それから コロナも同じだね。
コロナだって みんなが精いっぱい戦っているんだよね


N子もね もとが閉所恐怖症なのでね
「閉塞感」が 最も辛いことなのね。


マスクで息苦しいことから始まって
東京や神奈川にいる 子供たちの家族と会えないこと


それに 自由に出かけられないっていう
息苦しい状況も


みんな 閉塞感につながってくるんだよ。
N子 時々 夜になるとね


ジッとしていられないくらいの 息苦しさに襲われてね
いたたまれなくなってしまうことがあるんだよ。


コロナ 嫌だねぇ。


だけど このことだって
自分一人だけで 耐えているんじゃないものね


世界中の人たちが みんな
同じ思いをもって 耐えているんだものね。


本当に 何か月もの間 懸命に耐えてきたんだものねぇ。
まぁ 耐えざるを得ないわけだけれど 


それにしても コロナで亡くなってしまった人もいる中
コロナに関連した仕事に従事している人たち


誹謗中傷を受けている人たち
辛い状況 悲しい状況もある中


それぞれが みんな 限界を感じながら
本当に よく耐えてきているよねぇ。


だけどね コロナだっていつかはおさまるよ。


ほら ワクチンができてそれを使えるようになれば
今の状態は 必ずおさまる。


だから あともう少し
ワクチンの話題が そろそろ出始めているんだもの


先が見え始めてきたってことでしょう?
ね 一人だけで耐えているのだと辛すぎるけど


世界中の人たちが みんなで耐えているんだよ。
だから あともうひと息 がんばろう?


ね 頑張ろうね!


今日の話は 私自身に向けても伝えているの。
ともすると 泣きたくなってしまいそうな


私の心に向けて・・・  ね。
それでは最後に


幼い魂や弱い動物たちが
痛めつけられない世の中になりますように・・・

弱いものを傷つけることで
自分を保たなければならない人間たちが

癒される世の中になりますように・・・

祈ります。



  

Posted by N子 at 14:30Comments(0)

2020年08月18日

ミョウガの香り・匂いがわからない

今年のサンショウの時期(5月頃)は 
相変わらず 私の鼻は匂いがわからない状態だったの。


あの サンショウのいい香りが 
ちっともわからないのでね


「サンショウをつんで 
食べられるようにすることは 


私にとって 悲しくなってしまう作業だから 
今年は サンショウとらないよ」
  


って サンショウ大好きな 
息子とその奥さんに宣言して 


今年は 本当に いっさい
サンショウの木の所には 行かなかったのね。


そして ミョウガ
去年の ミョウガの時期は 


今年の サンショウの時と同じでね
やっぱり 悲しくなってしまうから って



ミョウガ大好きな 子供たちに 
ミョウガをとってあげなかったの。


だけど しばらく前にここでお話したように
今年は ミョウガをとりに行ったのね。


ほら 炒めてから味噌で味をつけると
ご飯に合う
 って話したことがあるでしょ?


そうなの 今年はミョウガ採りに行っているの。
ね 大好きなミョウガをとってきても


あの いい香りがしないってことは
とっても悲しくて 辛い気持ちになってしまうからね


そんな気持ちになることを 私は避けていたんだね。
だけど それがどうして 


今年は ミョウガをとりに行ったかっていうとね
前回お話した 耳鳴りのDVDの影響なの。


「耳鳴りはつらいけど ジッと向き合え」 
って あれね。


”ミョウガの香りを 感じないことを 
あまり 大げさに考えないでみよう”



って 思ってね 私 今年はとりに行ったのね。
今年はじめてとってきたミョウガは


香りはするにはするのだけど なんというか
ミョウガに近いけど ミョウガの香りとは言えないような


これだ! っていう香りではなかったの。
”やっぱりなぁ・・” ってね


ちょっと がっかりしたのだけれど
そのときは ”まぁいいか” って思えたのね。


ところがさ そのあとほら 瞑想の時に 
”鼻は匂わなくていい” って


何度か言った って言ったでしょ?
それから 少したって


大量のミョウガをとりに行った後
キュウリとミョウガを 塩漬けにしたものを食べたらね


するんだよ 香りがさ
間違いなく ミョウガの香りがしたんだよ!


私はね 3年近くも匂いがわからない状態でいたから
これは間違いじゃないのか ってね


何度も何度も 確かめた。


あのね 前にも話したけれど
匂いって 口の中でそしゃくしながら感じているのね。


だって 鼻先にミョウガを持ってこなくても
食べながら はっきりわかったもの。


口の中でも ミョウガの香りがしたもの。
私はうれしくてね すぐそこにいる夫に言ったの


「お父さん 今 ミョウガの香りがしているんだよ!」
「なんだか 胸がいっぱいだよ」



「・・・・・・・」 


夫はね 
必ず ともに喜んでくれているはずなんだけど


どんなふうに言葉をかければいいか
わからないのだと思う。


それはわかっているのだけれど 私ね
それでは物足りなくってね


たまたま 一緒に食事をしていた
息子夫婦のところに すっ飛んでいってね


「今ね ミョウガの香りがわかったんだよ」
「うれしくってさぁ」



って 伝えたら
「よかったですねぇ!」 って


息子の奥さんが 言ってくれたの。
「ばあちゃん よかったねぇ」


そばにいた 6年生の男の孫まで
声をかけてくれたんだよ。


みんな 何もかも知っていたからね
私は それで やっと気が済んだの。


もちろん 息子も喜んでくれてはいたと思うの。
だけど すでに嫁と息子が言葉にしていたものだから


自分が 口をはさむ隙間がなかったんだと思う。
だから 共有していた感はあったのね。


話は戻るけど これってさ 
”鼻は 匂わなくていい” って


口に出して言ったから 匂いがわかるようになった 
とは断言できないけど


心になくても 口だけでもいいから言葉にすること
それって 口だけで言っていることでもさ


自分が自分として 心も体も 
それを聞いている ってことでしょ?


だから 心が伴わなくても
自分のどこかで それを受け入れている


っていうことかもしれないじゃない?


だから コトダマ って言うのかねぇ?
口から出す言葉って 大切なんだ ってさ。


そのあと お盆の準備やらなにやらで
あわただしさが始まってきて


他のものの匂いを じっくりと確かめてみていないの。
あのね 匂いがわからない期間が


あまりにも長かったためにね
よーく考えないと これがそのものの匂いなのか


わからなくなってきているんだよ。
食材の匂いも 生活のにおいも 何もかもが


今までずっと 違うにおいが染みついているのね。
だから しっかり向き合って


これは そのものの匂いかどうか ってね
確認しないと ハッキリとはわからないんだよ。


たぶん ほかの物も 
完全ではないかもしれないけど


かなり 復活してきているのだと思うんだよね。


そこで 今までを振り返ってみるとねぇ
”いつかきっと 匂いはわかるようになる”


っていうふうに ずっと信念は持っていたなぁ。
そして そのいつかが 今 来たのだと思うの。


これから 少しずつ 色々な匂いが
復活していくのだと思うのね。


あのね 匂いが戻るってね
一気に 劇的に 戻るのではなくてね


少しずつ 少しずつ 
感じる匂いが 変化してきてね


だんだんと 元の そのものの匂いになってくるの。
少なくても 私の場合はそういう戻り方だったよ。


途中 恐ろしく感じたこと 悲しく感じたこと
焦りを感じたこと 色々あったよ。


でも この ミョウガの香りは 確かに 
匂いが戻ってきていることを 知らせてくれている。


とうとう この時が来た。
ずっと 待ち望んでいた この時が来た。


お盆があって 準備があったり人が来たりして
あわただしい日が続いてね


匂いが戻りつつある っていうことを
あまり ジックリと考える余裕がなかったけれど


今 この報告をしながら
しみじみと 感じています。


長いトンネルを 通ってきたけど 
目の前に光が見えてきたなぁ
 って。


今 感慨深い気持ちでいっぱいです。
ここで皆さんに ご報告できること うれしいです。


では 最後に

幼い魂や弱い動物たちが
痛めつけられない世の中になりますように・・・

弱いものを傷つけることで
自分を保たなければならない人間たちが

癒される世の中になりますように・・・

祈ります。


  

Posted by N子 at 19:46Comments(0)感動健康

2020年08月11日

続・自分と向き合う・体

人間って 体も心も常に変化しているなぁ
って 思う。


心だって 常に少しずつ成長しているものだよ。
誰の心もね。


そして 体も同じ!
最近 私は 体に対する向き合い方を


大きく変えることになったのね。
きっかけは 耳鳴りをどうにかしたい人向けの


DVDを取り寄せたことなの。
大きな耳鳴りに悩まされるのは もう2回目だから


はじめての時と比べると 
かなり 放っておけるようになってはいるの。


でもね 私 根がお節介なものだから
耳鳴りを経験している 私なら

 
この先 耳鳴りで困っている人のために 
お役に立てるかもしれないなぁ って考えたの。


そりゃぁ 自分のためでもあるけれど
とにかく どんなものなのか取り寄せてみよう


って思ってね DVDと本をセットで取り寄せたの。
耳鳴りで困っている人のために 


いろいろ教えてくれる先生が 本でもDVDでも
繰り返し言っていることはね


耳鳴りはつらいけれど 遠ざけないことだ 
っていうんだよ。


私もそうだけれど 多くの人が
”耳鳴りは嫌だなぁ まともに考えたくないなぁ”


って 反応しているのだと思うの。
そうして なるべく考えないようにしているのだと思う。


まともに向き合うと なんか
恐ろしいことになるような気がするもの。


パニックになってしまうような ね。
だから はじめは 


”そんなこと無理だよ”
って 思ったんだよ。


だけど その先生は
「じっと 耳鳴りに気持ちを向けろ」 って言っている。


そうして
”耳は鳴ってもいい 耳は鳴ってもいい”


って 口先だけでいいから
頭の中で 言い続けているうちに


耳鳴りに対して それほど大変に感じなくなってくる
っていうの。


”ふーん” って聞いていた私は
幾日かしてから 重要なことに気づいたの。


”あら これって 
心と向き合うときと 同じ考え方かも?”
 ってね。


そうだよ
”自分の心と しっかり向き合って


自分の心の中は どうなっているのか
知ることがとっても大切なんだ 


って 自分でも言っていたっけ”

ってね 気づいたんだよ。


”そうだよなぁ 体だって同じだよなぁ”


”考えないように どこかへ追いやろうとしていることは
やっかい払いをしているようなものだよなぁ”


”先生が言っているように 
そうなるにはそうなる原因があるのかぁ”


”あれ? それも心と同じだなぁ”



って 改めて考えてね
ある時 じっと 耳鳴りを聞いてみたんだよ。


(私の場合は 耳が鳴るっていうより
頭全体が ワーン ってなるの)



そうしたら はじめての時には恐ろしすぎて
いたたまれないくらいだったのに


”あぁ なっているなぁ”
って 客観的にとらえることができたのね。 


ただねぇ 心の場合もそうだけど
そのものと しっかり向き合うためには


それなりの 心の準備が必要でね
いきなり 耳鳴りに向き合うように って言われても


できないかもしれないなぁ って思う。
かつて 私が 耳鳴りに悩まされて


自律神経失調症になってしまった時なんか
まだ 準備ができていなかったと思うのね。


あの時では 今のように
”あぁ 鳴っているなぁ” って


客観的に考えることができたかどうか・・・
どうも 無理だったんじゃないかなぁ って思うの。


だからね 心にしても体にしても
向き合うには やっぱり準備がいるのだと思う。


私はすでに ひどいのを経験したことがあるのでね
とりあえず 準備ができていたんだろうなぁ


って 思うんだよね。
とりあえず 今はそんな状況なので 私ね


そのあとの 瞑想中に 
”頭は鳴ってもいい 頭は鳴ってもいい”


って 心の中で何回か言ってみたんだよ。
そして そのあと


”鼻は匂わなくていい 鼻は匂わなくていい”
って 追加して何回か言ってみたの。


あのね 私の鼻はまだ匂いが戻っていないんだよ。
匂わなくなってから もう2年半をとっくに過ぎているの。


まったく 長いよねぇ 2年半ってさぁ。
最近は 匂わないって言ってもね


そのものの匂いとは違うにおいが することはするの。
でも ちゃんと そのものの匂いがかぎたい!


食べ物もね 味だけで味わっているのではない
っていうことがわかったよ。


口に入れた食べ物の匂いを そしゃくしながら
感じているものなんだ っていうことがさ。


この1~2週間の間に 
私は 大きな発見をした気がする。


考えてみれば 当然のことだったのかもしれないけど
心と体 両方の 成り立ちが同じだから


向き合い方も同じだったんだ っていう発見だよ。
発見って すでに そこにあったことを見つける


って ことだもの。
当たり前だったことなんだろうけど 


それを 改めて自分で見つけた ってことなんだよ。
そんなことって まだまだたくさんあるのだと思う。


すでにそこにあるのに 
自分が気づいていないだけのこと ってさ。


さあ このあと私に大きな変化が起きたんです。


そのことについて
このままお伝えしたい気持ちは やまやまだけど


そろそろ お話に区切りをつけないと
このあと 大忙しになってしまうので


続きは次回に回すことにしますね。
それでは 最後に


幼い魂や弱い動物たちが
痛めつけられない世の中になりますように・・・

弱いものを傷つけることで
自分を保たなければならない人間たちが

癒される世の中になりますように・・・

祈ります。

  

Posted by N子 at 10:05Comments(0)健康

2020年08月08日

親心

親心の親って 私のことね。
私も 3人の子どもを持つ母なんです。


どっちかというと 私の場合は
あまり 面倒見のいい母とは言えないと思います。


子どものところには ほとんど行かないし
何か物を送るということも あまりないんです。


子どもたちを迎えることのほうが 断然多い。
そりゃぁ 何かの時には


全面的に 応援をする気持ちは 
持っているけどね。


先日 ここで ミョウガが採れるお話をしたのだけれど
夫の他は家族全員 ミョウガが大好きなんです。


でも 今 お店で買おうとすると
いくつも入っていない 1パックが


けっこう値段が高いのね。
我が家の畑では どっさり採れるのにねぇ。


そこで 私は どっしり重たい腰を持ち上げたの。
コロナで お盆にも帰ってこられない


二人の子供のところに ミョウガを送ろう
ってね。


ミョウガは生ものだから 送るとなったら
収穫して 洗って 梱包して クール便で送る


という作業を 一日で済ませなければならない。
何が起こるかわからない 私のあわただしい一日に


これをすることは けっこう覚悟を持たないと
やり遂げられないんです。


いえいえ 大げさじゃないよ。
真面目だよ。


だけど やり遂げたんです。
無事にね。  (なんか 恩着せがましいねぇ)







あまり暑くならない朝のうちに 出かけて行ってね
のぞいてみたら あるわ あるわ・・・


私は思わず うわー! と叫んでしまったの。
もう だいぶ 花が咲いてしまっているけど


これなら 二人の所に送る分は
簡単に収穫できる って思ってね


夢中になって ミョウガを採ったのね。
夫が言うには ミョウガのためには 


草の中にある方が いいんだって。
でもね 草やツルにおおわれた中の


ミョウガを採るにはね 色々大変なんだよ。
かぶっている百姓帽子は 草やイバラが邪魔をして


すっぽり脱げてしまうしね
目の周りには 汗がたまってきて 


ミョウガが ぼやけてしまうしね
もう 大変な思いをして収穫したんだよ。







おまけに 家に帰ってきて
外の水場で いい手間 ミョウガを洗ったあと






やっと 家に入ってから気づいたんだけど
ヒルがね 荷物の中からポロっと落ちたの。


ヒル 知ってる?
動物や人の血を吸う あれは虫なのか何なのか?







ほら この子
丸々太っているでしょう?


これは 人の血を吸って
これ以上 もういらないよ っていう状態なの。


やつは 私の血を吸っているに違いない!
って思ってね 


なんか違和感があった 腕のあたりを触ってみたけど 
なんでもない。


あのね ヒルにかじられるとね
そこの部分が 血だらけになってしまうんだよ。


でも 腕の所はなんでもなかった。


だけど そのあと 家の中の鏡を見て
ビックリ ぎょうてん!


首から 血が流れていた・・・
あのさ お化け屋敷のお化けの役の人みたいに


首の所が 血だらけになっていてね
私は またまた うわー!! ってね


叫んでしまったんだよ。
なんだなんだ 首がかじられていたんじゃないか・・


しかも 2か所もね。
そんなにかじられていたのに 


少しも 痛くもかゆくもないんだよ。
まったく 忍者みたいなやつなんだ。


夫のほうはね ヒルにかじられることは日常茶飯事。


それを見ているから 私
痕が残るって言うことを知っている


「いやだなぁ ヒルって痕が残るじゃない
お父さんはそれでもいいけど 私は女だからさぁ」



「もう 女じゃなかんべ?」
(もう 女じゃないだろう?)



「まだ 女だよ!」
なんてね 言ったところで


首だからね あとが残るのは嫌だよね。
そこで 考えたの。


庭に出ている ドクダミを焼いてしんなりさせて
首に巻いてみよう
 ってね。






これを首に巻いて 二日ばかり過ごしたところ
皮がむけて 赤い肌が出てきてしまって・・・


ヒリヒリしてきた。
おそらく ドクダミっていうくらいだから


ヒルの毒は 出してくれたんだと思う。
だから この赤肌がよくなって来れば


夫のように ぷっくりと
はれたりしなくて済むのだと 


何となく思っているところなの。


あれ?
ヒルの話が 長くなってしまったね。


とにかく それでも何でも
子どもたちに 大好きなミョウガを食べさせたい・・


その一心で ミョウガ採りをしたんです。
話としては たっぷりと 


恩着せがましい話になってしまったけど
その一心の気持ちが モチベーションとなって


草やイバラの中を はいつくばっても
ミョウガを採ることができた。


これを困難というのは 大げさかもしれないけど
困難に打ち勝つためには モチベーションが必要なんだよ。


ちょっとした困難の中 
ミョウガを採るという 作業については


子どもたちに食べさせたい という
親心が モチベーションだったけれど


カウンセリングの勉強にも 私の中に
大きなモチベーションがある。


それがなければ この年齢で この場所で
とうてい 続けられなかったと思うのね。


何かを続けるためには モチベーションって
とっても大切だよ。


”このために 私はこれをやっている”


その 「このため」 っていうものを
設定すること って


けっこう 重要なんだよ。
自分の中だけの 大切なキーワードだね。


何かやり遂げたい って思うときは
自分だけのキーワード このために・・・


っていうものを 設定しておくとね
もうやめてしまいたいなぁ なんて思った時に


キーワードを思い出すことで
”よーし あともう少しがんばるぞ”


ってね 
思いなおすことができたりするんだよ。


すごいねぇ 人間の心ってさぁ。
それでは 最後に


幼い魂や弱い動物たちが
痛めつけられない世の中になりますように・・・

弱いものを傷つけることで
自分を保たなければならない人間たちが

癒される世の中になりますように・・・

祈ります。
  

Posted by N子 at 19:56Comments(0)じわっ

2020年08月02日

生きているもの

先日 田んぼへ行って見つけました。






稲の穂が出始めたところ。
この辺は 「出穂(でほ)」 って言います。


あ どこでもそう言うのかな?
まだ生まれたての 稲の穂。






この 一粒一粒が成熟して
私達が食べる 米になる。


この日は ついでにミョウガもとってきました。
ごみを洗って それを刻んで







ほ~ら 炒めてから味噌で味付けます。
ご飯にとっても合うんです。


それからね






よく 庭に来る子
さっきまでくつろいでいたのに 


私がカメラを向けたら 構えてしまったね。 


夫も私も もう少し
この子と 親しくなりたいのだけれど


あまり近づくと 逃げられてしまうの。
「ねぇ もうちょっとそばに行ってもいい?」






逃げられてしまっては 元も子もないので
ちょっとだけ接近して 写真を撮らせてもらいました。


あぁ この世の中は
生きている者たちで つくられている。


大げさかもしれないけど 
この頃 そんなふうに思うことがよくあるの。


自分は人間だけど 生きているものとして
たくさんの命と 同じ時を ともに生きている。 


ジョーや クマや チコと暮らしたから・・







あの子たちから 命にはみな同じ価値がある


って 教えてもらったから・・・・
稲穂も ミョウガも 近所の子たちも


どこか 生きている者同士 
って 目線で向き合えるようになったの。


そうして それととともにね
私の心の奥底に 確信が生まれたの。







自分が幸福感をもって生きるために 
とっても 重要なものは


自分の心なんだ って。
相手を 周りを 変えようとしても


どうにもならないもの。
かつての私のように


あんたのせいで この環境のせいで
私は不幸なんだ
 って言っているうちは


相手次第の人生を生きている っていうことだもの。
相手が 環境が 変わってくれれば


私は幸せになる
 って思っているうちは
自分の世界を自分で作っていない っていうことだもの。


あの子たちは それぞれの生きざまをもって
私に そのことを伝えて行った。







世の中のすべての 小さな生き物たちは
全身全霊で そのことを私たちに教えている。


どれほど甘えていた子であっても
どれほど わがまま放題に生きていた子であっても


最期の時には 人間の心を強く揺さぶるような
見事な別れを 私たちにみせて逝く。


自分の生きざまを 周りのせいにせず
自分で責任を持ち 


その子でなければできないような
あっぱれな別れ方を 最後に置いていく。


私は つくづく思います。
あの子たちと暮らせて 本当に良かった と。


そうでなければ 稲穂を見ても ミョウガを見ても
近所のあの子を見ても 何も感じることなく


淡々と暮らしていただろう ってね。
もちろん カウンセリングの勉強になんて


とても たどり着くことはなかっただろう 
って思います。


では 最後に  

幼い魂や弱い動物たちが
痛めつけられない世の中になりますように・・・

弱いものを傷つけることで
自分を保たなければならない人間たちが

癒される世の中になりますように・・・

祈ります。

  

Posted by N子 at 16:53Comments(0)感動

2020年07月29日

自分と向き合う・心

自分の心と向き合う ってひと口に言ってもね
向き合い方って いろいろあるんだよね。


あのさ 自分の心と向き合うって
自分のことを知る ってことだよね


たとえば この間話したような
自分って 笑いたくないのに


周りに合わせて 無理に笑うよなぁ
とかさ


自分って どうしても人を受け入れられない
なんか 開放的じゃないよなぁ


とかね
なんとなく わかっていること 


なんとなく 気づいていること ってね 
あるもんだよ 人ってさ。


だけど たいていの人がそこまでで
その先へは なかなか進まないものだよね。


人に合わせて無理に笑うのって
本当は 疲れるし嫌だものね 


それに もう少し自分を解放したい
って どこかで感じている自分を


多くの人が なんとなくわかっているものだよ。
だけど そんなこと考えるの面倒なんだよね。


だって そんなことに目を向けると
辛くなる気がするものね。


無意識が やめておけって言っているんだよ
面倒なことになるぞ ってさ。


多くの人が そんなジレンマを抱えているのだと思う。
そうなんだよ 自分の心としっかり向き合うのって


けっこう エネルギーがいるものなんだよ。
だからね 自分がつかれているとき


エネルギーがなくなっているときは
自分とがっちり向き合うのって 無理なんだよね。


心理学で重要なことってね 自己理解なんだって。
自分の心に とことん向き合って


自分のいいところも 嫌だと思っているところも

いいとか悪いとか そういう判断ではなくて


ただ
ちゃんと 承知するっていうことなんだって。


私は 箱庭のトレーニングの中で
なんとなくわかっていたけど 


さほどには 感じていなかった
自分の見たくないところをね 


思いがけず 
観ることになってしまったの。


カウンセラー役とクライアント役 という
あくまで 疑似体験であるにもかかわらず


トレーニングの中で 毎回
自分の内面とガチで向き合うことになってしまう。


とっても不思議だよ。
そして 何とも言えず辛い感じがしたの。


何となく感じていた 自分の一面。
自分って 心のことを学んでいて


内面もどんどん成長してきている ってね
思っていたから 


自分が周りに対して 嫌なものを振りまいていた
っていうことを 自覚することは


辛かった。
猪突猛進なところも 


ある意味 押しつけがましかったりね
知らない間に いらぬおせっかいをしていた


なんてね しだいにわかってきたのね。
このことは しっかり自分で向き合うことが


なかなかできなくて 
”私らしくないなぁ” って思いながらも

 
しばらく 落ち込んだりしたんだよ。
でもね 


「これって 訓練で直りますか?」
って 先生に質問したらね


「はい 直ります」
って 力強く先生は答えてくれた。


私はそれまで 内心 困ったなぁ って思っていたから
それで 勇気が湧いてきてね


時間はかかったけど それも自分だ って
受け入れることができたのね。


自分の本質は変わらない だけど
人ってね スイッチを使うことができるのね


いざ 猪突猛進を抑えて向き合おう
っていうときに スイッチを入れるの


そうすると 押しつけの根性は
陰に隠れてくれる。


だから 自分が向き合う場面によって
お節介な自分と そうでない自分とを


使い分ければいいんだな って
考えたの。


ねぇ? そういうことなんだよ。
自分と向き合う ってさ。


自分で受け入れたくない部分に
真正面から向き合う っていうことによって


あらためて そういう自分も自分の一部で
愛すべき自分には違いないんだな ってね


ちゃんと 思ってあげることで
もしも そういう一面が出てきたとしても


”おっと 猪突猛進出てきたか・・”
”今日のところは 隠れていてね”



っていうふうに 思うことができるでしょ?
ただね 人によっては


一人で向き合うのが 大変なこともある。
ともに寄り添って ともに歩んでくれる伴走者


そんな存在が必要なことも あると思うの。
その伴走者になろうとしている人が 


カウンセラーなんだよ。
まだまだ 日本では


カウンセラーの存在は 浸透していない。
私は たくさんの人たちが


なるべく負担が少なく  
気軽に 自分と向き合うことができる 


ワークショップを
広めていきたいと思っています。


カウンセラーの存在が 
たくさんの人たちに 届きますように・・・



それでは 最後に

幼い魂や弱い動物たちが
痛めつけられない世の中になりますように・・・

弱いものを傷つけることで
自分を保たなければならない人間たちが

癒される世の中になりますように・・・

祈ります。
  

Posted by N子 at 17:10Comments(0)カウンセリング